出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
明治・大正時代の日本建築界の元勲とされる。安政(あんせい)元年8月22日、唐津(からつ)藩(佐賀県)に下級武士の次男として生まれる。工学寮を経て1879年(明治12)工部大学校造家学科(現、東京大学建築学科)第1回生として首席で卒業。翌1880年、イギリス留学を命じられ1883年帰国、1884年から工部大学校に日本建築の講座を設けて担当する。以来、近代日本の建築界を指導し、数多くの建築家を育成したほか、教育界、建設界にも業績を残している。1898年帝国大学工科大学長となり1902年(明治35)退官。建築学会会長、議院建築調査会委員を歴任したほか、辰野葛西(かさい)建築事務所(東京)、辰野片岡建築事務所(大阪)を開設、日本銀行本店、東京駅、旧両国国技館をはじめとする日本近代建築史上重要な作品を手がけている。大正8年3月25日没。なお長男はフランス文学者、随筆家の辰野隆(ゆたか)。
[村松貞次郎・藤原恵洋]
『藤森照信著『日本の建築 明治大正昭和3 国家のデザイン』(1979・三省堂)』
(清水慶一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
建築家。肥前国唐津に生まれる。工部大学校造家学科でコンドルの教えをうけ,1879年同校を卒業。渡英し,主としてバージェスW. Burgesのもとで設計を修業する。帰国後,84年東京帝国大学工科大学教授となり,伊東忠太,関野貞ら後進を育てる一方で,86年新興建設資本と協力して造家学会(後の建築学会)を結成した。明治中期以降の創成期日本近代建築界を主導し,その性格を決定づけた。また,東京や大阪に建築事務所を開設,多くの作品を設計建築する。主要作品に日本銀行本店(1896),東京中央停車場(現,東京駅。1914)などがある。なおフランス文学者辰野隆(ゆたか)は子である。
執筆者:丸山 茂
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1854.8.22~1919.3.25
明治建築界の帝王的存在。肥前国唐津生れ。1879年(明治12)第1期生として工部大学校を卒業。イギリス留学後,工部大学校教授・帝国大学工科大学教授・同工科大学長を歴任。1903年退官し,葛西万司と東京に,片岡安と大阪に建築設計事務所を開設し,全国各地に数多くの建築作品を遺す。代表作は日本銀行本店(1896年竣工),東京駅本屋(1914年竣工)(ともに重文)など。
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…87年の国鉄の分割・民営化により,JR東日本とJR東海の両社が区分して所有するようになった。【村山 繁樹】
[建築]
現在の丸の内側の東京駅は,辰野金吾と葛西万司により設計された。当初は鉄骨煉瓦造3階建て,長さ320mで南北両端に丸ドームのある左右対称の建築で,様式はカイペルス設計のアムステルダム中央駅がモデルといわれる。…
※「辰野金吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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