武安名(読み)たけやすみよう

日本歴史地名大系 「武安名」の解説

武安名
たけやすみよう

松永まつなが字武安を遺称地とする。大隅国建久図田帳には桑東くわのとう郷の国衙領として武安六町がみえ、宗(字か)新大夫建部高清所知とある。在庁別名の一つ。高清はほかに禰寝南俣の佐汰ねじめみなみまたのさた(現佐多町)一〇町の領主としてもみえ、禰寝氏庶流佐多氏であった。承元四年(一二一〇)五月日の大隅国在庁官人解(禰寝文書)によれば、禰寝氏惣領家が武安名を一時知行していたようで、建部清貞から娘の尼心妙へと相伝されていた。その後再び佐多氏の系統に戻ったらしく、建部親高が所領未処分のまま死去したため、建長五年(一二五三)一二月二八日には鎌倉幕府によりその子息宗親に武安名五町七段大などの地が安堵されている(「将軍家政所下文案」同文書)。正嘉二年(一二五八)宗親と舎兄親綱との間に武安名の公事の配分などについて相論が起こったが、九月二一日和与となり(「建部親綱和与状」同文書)、一〇月一八日双方の和与状に基づき重役の地であるので、亡父の遺跡領の公事は惣領が負担せよという守護の裁許が出された(「大隅守護名越時章裁許下知状」同文書)。文永一一年(一二七四)九月日の佐汰宗親所領注文案(同文書)には、武安名内の宗親の所領が一筆ごとに書上げられており、田地一四ヵ所計三町九段小(うち除田五反)、屋敷七ヵ所がみえる。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)では、桑東郷のうちに武安三町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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