正源寺(読み)しようげんじ

日本歴史地名大系 「正源寺」の解説

正源寺
しようげんじ

[現在地名]久留米市野中

高良こうら川中流右岸、野中のなか町の南東部いけたににある。黄檗宗。山号は大喜山。本尊釈迦如来。元禄四年(一六九一、「寛延記」では元禄六年)天祐の創建という。同一一年木像本尊が清から渡来。初め西来せいらい庵と称したが、同一三年(「米府年表」では延宝八年)久留米藩主の命で古跡正源寺の寺号を継ぎ、拝領山五町と請山五町二反余が付された。

正源寺
しようげんじ

[現在地名]江刺市稲瀬 正源寺台

北上川左岸の段丘上にある。照峰山と号し、曹洞宗。本尊虚空蔵菩薩。もと黒石くろいし(現水沢市)正法しようぼう寺末。「三照村安永風土記」に、文明一三年(一四八一)在山融松の開基とみえる。しかし「江刺郡志」によれば慶長年間(一五九六―一六一五)三照みてり村の領主後藤信康が一草堂を創立、のち正法寺続燈ぞくとう庵在山融松の碩徳を慕い、彼を招聘して開山としたとみえる。

正源寺
しようげんじ

[現在地名]長野市七二会 笹平

浄土宗。渓豊山と号し、本尊阿弥陀如来。

寺伝に長禄三年(一四五九)境誉上人の開くところであったが、文明一二年(一四八〇)火災のため焼け、以後衰微すという。正源寺過去帳の序に「大日本信濃国水内郡小河庄丸栗里篠平村渓豊山西方院正源寺(中略)弘治二年丙辰年前領主春日修理大夫満喜開基、天蓮社暁誉上人建立也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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