横見村(読み)よこみむら

日本歴史地名大系 「横見村」の解説

横見村
よこみむら

[現在地名]大島町大字横見

屋代やしろ島の西部に位置し、北西日見ひみ北東屋代南東戸田へたの各村と境し、南西は海に面する。頂海ちようかい山から馬の瀬うまのせ山への連山の南西中腹から麓に広がる小村

康応元年(一三八九)の「鹿苑院殿厳島詣記」の三月一九日条に「かまどの関より周防国やしろの島、よこみ、いつゐ、あき、ふなこしなどいふ浦々島々とをらせ給」とあり、「よこみ」の名がみえる。

慶長一五年(一六一〇)検地帳には横見は戸田と合石で記され、総田畠面積は六六町六反余で総石高七七九石三斗余とある。「地下上申」で初めて独立村として扱われるが、「注進案」では日見村の支村として位置づけられ、総田畠面積四八町四反余、総石高五四一石六反余と記される。

横見村
よこみむら

[現在地名]阿南市横見町

東流する桑野くわの川を境に富岡とみおか町の北に位置する。北を那賀なか川が東流し、南北を両河川に挟まれる。横水とも記され、里として願能寺がんのうじ畠中はたけなか・長・くぐがある(阿波志)。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「よこみ」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に「よこみ村」とみえ、那東なとう郡に属する。

横見村
よこみむら

[現在地名]中島町横見

七尾湾西海岸に位置し、内浦街道田岸たぎし村の北に続く。鹿島郡最北端の村で、北は鳳至ふげし曾福そぼく(現穴水町)。初め加賀藩領。土方雄久知行目録に村名がみえ、慶長一一年(一六〇六)から高七五俵余が土方領、うち約五割七分は百姓得分。領主変遷は天明六年(一七八六)まで谷内やち村に同じで、以降も幕府領・加賀藩領の入会村として推移。土方領分は正保郷帳によれば高三七石余、田方五反余・畑方二町余、免四ツ二歩。貞享四年(一六八七)の家数一一(うち役家六)・人数六八、馬一三(加賀藩史料)。享保六年(一七二一)の幕府領小物成帳(室木文書)によれば高三七石余、免三ツ四歩、小物成は船役上納三斗・肴役上納四斗四升・串海鼠役上納銀六匁四分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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