樋口隆康(読み)ヒグチタカヤス

デジタル大辞泉 「樋口隆康」の意味・読み・例文・類語

ひぐち‐たかやす【樋口隆康】

[1919~2015]考古学者。福岡の生まれ。京大教授。シルクロードの学術調査青銅器研究で知られる。昭和32年(1957)、日本人として戦後初めて敦煌石窟に入った。また、三角縁神獣鏡が大量出土した椿井つばい大塚山古墳や黒塚古墳の調査にも携わった。著作に「中国銅器」「古鏡」「バーミヤーン石窟」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樋口隆康」の解説

樋口隆康 ひぐち-たかやす

1919-2015 昭和後期-平成時代の考古学者。
大正8年6月1日生まれ。昭和25年京大講師,32年助教授。同年日本人学者のひとりとして戦後はじめて中国敦煌(とんこう)にはいった。34年以降京大学術調査隊に参加してインド,アフガニスタン,パキスタンなどの仏教遺跡を調査。50年京大教授。三角縁神獣鏡など古代銅器の研究でも知られた。58年泉屋博古館館長,平成元年奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所長,5年シルクロード学研究センター所長。平成27年4月2日死去。95歳。福岡県出身。京都帝大卒。著作に「中国の銅器」「古鏡」「バーミヤーンの石窟」など。

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世界大百科事典(旧版)内の樋口隆康の言及

【大谷古墳】より

…墳丘の一部に埴輪がめぐり,葺石(ふきいし)を欠くらしい。1957,58両年,樋口隆康ら京都大学考古学研究室の発掘によって,後円部から家形石棺を検出し,その内外から装身具,武器,武具,馬具,農工具など多数の副葬品の出土をみた。古墳の営造年代は500年前後にあたる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」