楠葉台場跡(読み)くずはだいばあと

国指定史跡ガイド 「楠葉台場跡」の解説

くずはだいばあと【楠葉台場跡】


大阪府枚方(ひらかた)市楠葉中之芝にある近世軍事遺跡。八幡(やわた)関門、楠葉関門ともいう。天王山(てんのうざん)と男山(おとこやま)丘陵との狭隘地を流れ出た淀川の左岸沿い、男山丘陵西麓に位置する。台場は南・西面に稜堡(りょうほ)(突き出た角の部分)を備えた西洋式で、南面土塁前に6間幅の堀、西面土塁前には放生(ほうじょう)川を配し、堀は石垣で造られ、西面2ヵ所と南面1ヵ所に砲座を築き、南面土塁の東端に見張り台を設けた。幕末、欧米列強の日本への接近にともない、1854年(嘉永7)にはロシア船が大坂湾に侵入し、淀川をさかのぼって外国船が京都に来航する脅威が現実のものとなり、京都守護職松平容保(かたもり)の京都防衛の建言にもとづき、勝海舟が設計。当時、京都で横行した尊王攘夷派や長州藩への対策として、京都への侵入を取り締まろうという意図もあったとする説もある。1865年(慶応1)、淀川左岸に楠葉台場を築造し、右岸にも高浜台場を設けた。楠葉台場は各藩が交代警備にあたり、その後、1867年(慶応3)には台場の沖合船改番所が置かれて、水陸の関門として機能し、戊辰(ぼしん)戦争においては戦い舞台ともなった。海に面してではなく内陸の河川沿いに築造された台場として全国的に珍しく、幕末の軍事を知るうえで貴重なものとして、2011年(平成23)に南北約280m、東西約150mの範囲が国の史跡に指定された。京阪電鉄京阪本線橋本駅から徒歩約6分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報