改訂新版 世界大百科事典 「検(撿)断」の意味・わかりやすい解説
検(撿)断 (けんだん)
非違を検察し不法を糾弾する意。日本の中世では司法警察・刑事裁判の行為・権限・職務を総称する。1177年(治承1)新興寺の寺領四至内に国衙検断使の不入が認められ,86年(文治2)の太政官符に諸国地頭が不法に検断を行うことを禁ずるなどとある例が,文書資料上の早い用例と思われる。もと朝廷-国衙の法体系で生まれた概念であろう。
鎌倉時代以降,朝廷では京都は検非違使庁,諸国は国衙が検断に当たるが,国衙の権限は早く守護に吸収される。京都では武家所属の者が当事者でないかぎり,原則として検断は検非違使庁の権限に属し,14世紀末には武家に吸収される。
本所は公家・寺院・神社ともその屋敷・境内・所領に検断権を有するが,京都では使庁に犯科人を引き渡すのを原則とし,本所は犯人財産の没収権を確保する(祇園社は平安末から南北朝期の事例を記録している)。所領で直接検断を行使するのは預所・下司・公文等の荘官であり,公文・田所・惣追捕使という三職(さんしき)のある荘園では,惣追捕使が検断職とされる。荘官は荘内の治安維持の任を負い,荘官職の請文にそのことが明記されることがあるが,鎌倉末期の高野山領の紀伊国所在荘園では,本所の要求により荘官起請文の形で明示されている。所領内の事件が訴訟の形で提起されると本所は裁判を行うが,その機関は興福寺では六方衆・公文所,東寺では学衆・供僧の集会,東大寺では政所など,本所により多様な機関があり,ときに満寺集会の議定ともなる。不入権を有する一円領ならば本所が全面的に検断権を行使し,そうでなければ謀叛・殺害・強盗などの重罪犯罪については武家の検断権が発動され,使節が入部する。一円領でも重罪犯人は身柄を境界で武家方に引き渡すことがある。また本所は放状(ほうじよう)(不入特権廃棄書)を提出して一円領に武家の入部を要請することもでき,東大寺領黒田荘などにその例がある。
鎌倉幕府では侍所・守護が検断の中心である。侍所は鎌倉市中の警察および全国的な刑事裁判を行う。守護は幕府の全国的な治安維持機能の中核であって,大犯(だいぼん)三箇条に属する謀叛・殺害・夜討・強盗・山賊・海賊に対する検断権を行使し,不入権を有する本所領を除いて,使節を入部せしめ,犯科人を追捕する。ただし御家人と自称する者を専断をもっては逮捕しえず,一般には犯人逮捕と事実審理にとどまり,最終的な審決は行いえない。例外として,九州諸国の守護は最終処断・刑事裁判権を有する。六波羅探題も鎌倉末期には管轄する美濃・尾張以西(九州を除く)について検断方で刑事裁判を行うとともに,在京御家人・大番衆を指揮して京都の治安維持に当たった。なお鎌倉市中では政所も庶民の軽い犯科について検断権を有するが,侍所との関係は不明確である。
室町幕府では,侍所が京都の検断と全国的な刑事裁判を行い,後者は侍所内の検断方で扱い,14世紀末には使庁の機能を吸収してもっぱら洛中行政機関となる。応仁の乱以後,その機能は所司代に担われるが,16世紀後半には検断所が設けられたようである。守護は,初期には鎌倉幕府守護の職務を継承した。
鎌倉幕府の地頭は幕府機構の一環として,職(しき)を有する領域について検断権を有するが,守護の管掌する大犯以外の軽罪を対象とし,ときに安芸三入荘熊谷氏のごとく不入権を有すれば,大犯をも対象とした。地頭は鎌倉期を通じて,職をこえた在地領主として所領の一円支配を進めるから,現実には,一般住民に対しては強力な検断権を行使したであろう。
南北朝期以降,地頭を含めて在地領主としての国人層が成長するが,彼らは戦国期には所領の全面的な支配者となるから,強力な検断権を有する。ときに国人は連合して一揆を形成するが,1384年(元中1・至徳1)の松浦党一揆のように,一揆として刑事裁判権を行使することを約諾する例がある。国人層を基礎に戦国大名が成立するが,鎌倉時代の宇都宮氏のように郷検断などの組織を早くから有する場合もあり,諸氏の家法には強力な刑罰規定がみられる。また惣・惣村などとよばれる村落も検断を行い,惣掟という成文法規に明示することもある。村落が成員に対して行うものを自検断といい,近江菅浦,和泉日根村などが顕著な事例である。
検断には財産没収が付随し,鎌倉時代の本所と地頭との場合,領家3分の2,地頭3分の1という例が多く,没収所領は闕所,資財は検断物と呼ばれ,検断権自体ではなく検断得分が争われることも多い。
検断は処断・科刑を本質とする,人間の人間に対する支配であり,国家の統治権の実現の中世的な表現であって,諸権力が人身支配を貫徹する重要な手段であり,犯科の軽重,事件発生の場所,当事者の身分をめぐって各種の権力が競合する場である。語としての検断は,本来行為を指すが,これが行為者,権限行為者の義に転じて用いられ,16世紀末には〈統治をし裁判をする職〉(《日葡辞書》)と理解されている。
江戸時代には北関東・東北で,村役人の呼称に検断・検断肝入などがあり,その給田を検断免ということがある。
→検断沙汰
執筆者:羽下 徳彦
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