森立之(読み)もりたつゆき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森立之」の意味・わかりやすい解説

森立之
もりたつゆき
(1807―1885)

江戸後期の医師、考証家。文化(ぶんか)4年11月江戸に生まれる。幼名伊織、字(あざな)は立夫。枳園(きえん)と号した。祖父恭忠の養子となり、15歳で家督、医号養竹(4世)を継ぐ。医は家伝のほかに伊沢蘭軒(らんけん)に、詩を館柳湾(たちりゅうわん)(1762―1844)に、文字、考証学狩谷棭斎(かりやえきさい)に学ぶ。福山侯に仕えたが1837年(天保8)禄(ろく)を失い、1848年(嘉永1)42歳で帰参した。踌寿館、医学館講師。『経籍訪古志』の編纂(へんさん)に従う。明治以後は文部省大蔵省に出仕、明治18年12月6日没。78歳。音羽(おとわ)の洞雲寺(東京都豊島(としま)区池袋)に葬る。

[柴田光彦]

『川瀬一馬著『森立之・約之父子』(『日本書誌学之研究』所収・1943/増訂再版・1971・講談社)』『『澀江抽斎』『伊澤蘭軒』(『鴎外全集 第16、第17巻』所収・1973・岩波書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森立之」の解説

森立之 もり-りっし

1807-1885 江戸後期-明治時代の医師。
文化4年11月25日生まれ。備後(びんご)(広島県)福山藩医。伊沢蘭軒(いざわ-らんけん)に師事,渋江抽斎とまじわる。芝居好きがもとで免職となり,のち帰藩をゆるされ幕府医学館講師として「医心方」の校訂にあたる。維新後は文部省などにつとめた。明治18年12月6日死去。79歳。字(あざな)は立夫。通称は養竹。号は枳園(きえん)。編著に「経籍訪古志」など。

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