棒庵坂(読み)ぼうあんざか

日本歴史地名大系 「棒庵坂」の解説

棒庵坂
ぼうあんざか

[現在地名]熊本市二の丸

本丸の北部にあり、千葉ちば城から一段高い二ノ丸、本丸北大手門へ通ずる急坂。現在、千葉城ちばじよう町の五峯ごほう閣前から二の丸の監物台けんもつだい樹木園南側へ通ずる。加藤清正の家臣下津棒庵の屋敷が坂の下にあったことから名がある。棒安坂とも書き、「ぼあんざか」ともいう。寛永八年(一六三一)没の下津棒庵は、山城国の出身で、公家久我右大将通興の子、宗阿ともいう。幼年で出家し、京都鹿苑ろくおん(金閣寺)の僧となったが、のち還俗し、下津と称して清正に仕えた。上方の政治に精通し、清正・忠広の政治顧問的重臣として忠広の跡目相続にも尽力し、禄一千石から二千石となった(国誌)。元和四年(一六一八)の牛方・馬方騒動では、馬方(家老加藤右馬允ら)とともに牛方(家老加藤美作ら)の非違を幕府に訴え、忠広政権の危機を救った(熊本藩年表稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報