梓山村(読み)あずさやまむら

日本歴史地名大系 「梓山村」の解説

梓山村
あずさやまむら

[現在地名]川上村梓山

現川上村最奥の集落で、村民落合おちあい(おちい)ともよぶ。東側は三国みくに(一八二八メートル)で、現群馬県上野うえの村と現埼玉県大滝おおたき村に接する。また東南の境は甲武信こぶし(二四八三メートル)。標高一三〇〇メートル余の高冷地の谷間の河岸段丘上に発達した集落。東は武蔵国、西は秋山あきやま村、南は甲斐国、北は南相木みなみあいき村と上野国。

慶長一五年(一六一〇)の貫地帳(竹内文書)には記載がない。元和八年(一六二二)の佐久郡高書上(柳沢文書)に「四十三石九斗 秋山あつさ山」と記す。正保四年(一六四七)の信濃国絵図高辻には皆畑として六八石八斗四升七合の記載がある。

梓山村
ずさやまむら

[現在地名]米沢市万世町梓山ばんせいちようずさやま

片子かたこ村の南東天王てんのう(梓川)上流両岸の河岸段丘上に立地。天文七年(一五三八)の段銭古帳では屋代やしろ庄のうち「つさ山」とみえ、段銭七貫五二五文。同二二年の晴宗公采地下賜録によると上長井庄に属し、梓山のうち、我妻備中に「かミ中の在家」「おひ屋しき」「上はのき田」「はらの在家」が安堵され、守屋監物に「中野在家」が与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報