長井庄(読み)ながいのしよう

日本歴史地名大系 「長井庄」の解説

長井庄
ながいのしよう

現妻沼町を中心とする地域に比定され、利根川右岸に位置する。「平家物語」巻七に平家方の老武者長井斎藤別当実盛の言葉として「実盛もと越前国の者で候しか共、近年御領につゐて武蔵の長井に居住せしめ候き」とあり、長井庄は平家の庄園で、斎藤実盛が庄官であった。平家滅亡後は没官地となり、やがて源頼朝の御家人和田義盛の所領になったらしい。「吾妻鏡」建保元年(一二一三)五月七日条には「武蔵国長井庄藤九郎次郎」とあり、和田義盛の乱鎮定後に長井庄は勲功の賞として安達時長(藤九郎次郎)に与えられた。なお「平家物語」巻四によると、治承四年(一一八〇)五月の山城宇治うじ川渡河にあたり、平家方の足利忠綱は利根川合戦の故事をひいて兵を励ましているが、そのなかに「長井のわたり」とあり、古くから武蔵・上野国境の利根川の渡河点であったことが知られる。建武二年(一三三五)八月二〇日、小野寺顕通は長井渡に着到したことを注進している(「小野寺顕通着到状」小野寺文書)。貞治二年(一三六三)六月二五日および同三年九月一八日には、「武蔵国高麗郡笠縁」(現川越市笠幡か)の年貢帖絹代が長井庄定使の森三郎に給分として与えられている(「鎌倉府政所執事奉書」町田文書)

長井庄
ながいのしよう

康保四年(九六七)の尊勝院根本取(所カ)領員数(東大寺続要録)添上郡に「長井庄」とある。東大寺尊勝院領で、荘号からみると現南永井町・北永井町辺りに比定される。一方、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「添上郡長井、正願院寄」とみえる。この長井庄は興福寺大乗院領であり、大乗院末寺の正暦しようりやく寺別院正願院が預所と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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