桂文枝(1世)(読み)かつらぶんし[いっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂文枝(1世)」の意味・わかりやすい解説

桂文枝(1世)
かつらぶんし[いっせい]

[生]文政2 (1819). 大阪
[没]1874.4.3. 大阪
落語家。本名同じ。生家は心斎橋の鍛冶屋(家具屋説もある)。1840年笑福亭梅花に入門し,笑福亭万光を名のる。4世桂文治門下に転じ(3世の門下となり,3世没後 4世門下になったという説もある),桂梅花,桂梅香を経て桂文枝となる。文枝は 4世文治の前名であったが,桂文枝の活躍が大きいため,1世ということになっている。幕末から明治にかけて,文枝とその一門が大活躍をしたため,上方落語中興の祖といわれ,以後,桂文枝の名が上方桂派の最高位の名跡となった。上方落語の代表的演目『三十石』を大成させたことで知られるが,『三十石』に関してはもう一つ逸話がある。文枝は『三十石』を 100両で質入れしてしまった。質入れした以上は高座にかけられない。そこで客が 100両払って請け出して,『三十石』をかけたという。(→落語

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報