松瀬青々(読み)マツセセイセイ

デジタル大辞泉 「松瀬青々」の意味・読み・例文・類語

まつせ‐せいせい【松瀬青々】

[1869~1937]俳人大阪の生まれ。本名、弥三郎。正岡子規門人。関西俳壇に重きをなした。句集妻木」「鳥の巣」など。

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精選版 日本国語大辞典 「松瀬青々」の意味・読み・例文・類語

まつせ‐せいせい【松瀬青々】

俳人。大阪出身。本名彌三郎。雑誌ホトトギス」の編集に一時従事、帰阪し「大阪朝日新聞」に入社。「朝日俳壇」の選を担当。関西俳壇の中心となった。句集に「妻木」など。明治二~昭和一二年(一八六九‐一九三七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松瀬青々」の意味・わかりやすい解説

松瀬青々
まつせせいせい
(1869―1937)

俳人。大阪に生まれる。本名弥三郎。1897年(明治30)大阪満月会に加わり、新聞『日本』の正岡子規(しき)選俳句欄、『ホトトギス』などに投句。1899年上京して『ホトトギス』編集部に入ったが、翌年辞して帰阪し、大阪朝日新聞社に入社した。1901年(明治34)『宝船(たからぶね)』を創刊、のち『倦鳥(けんちょう)』と改題、青木月斗(げっと)とともに関西俳壇に重きをなした。1904年早くも処女句集『妻木』を出し、『松苗』(1937)、『鳥の巣』(1938)の句集のほか、『巻頭言集』(1937)、『随感随想』(1942)などの随筆集も出ている。

 甘酒屋打出の浜におろしけり
村山古郷

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松瀬青々」の解説

松瀬青々 まつせ-せいせい

1869-1937 明治-昭和時代前期の俳人。
明治2年4月4日生まれ。正岡子規にみとめられ,明治32年上京して「ホトトギス」の編集員となる。33年大阪朝日新聞社につとめ,「俳句欄」の選者を担当。また34年俳誌「宝船」(のち「倦鳥(けんちょう)」と改題)を創刊,主宰した。昭和12年1月9日死去。69歳。大阪出身。本名は弥三郎。句集に「妻木」,俳話集に「倦鳥巻頭言集」。
格言など】月見して如来の月光三昧や(辞世)

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