松平定行(読み)まつだいら さだゆき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平定行」の解説

松平定行 まつだいら-さだゆき

1587-1668 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)15年生まれ。松平定勝次男。慶長12年遠江(とおとうみ)掛川に3万石をあたえられる。父の死で,寛永元年伊勢(いせ)桑名藩主。同年弟定房(さだふさ)に7000石を分与した。12年転封(てんぽう)となり,伊予(いよ)松山藩主松平(久松)家初代。15万石。松山城改築。寛文8年10月19日死去。82歳。初名は定重(さだしげ)。通称刑部

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松平定行の言及

【松山藩】より

…1602年(慶長7)伊予郡正木(松前)(まさき)城主20万石の加藤嘉明が松山城を築城したことに始まる。27年(寛永4)嘉明の会津転封後,蒲生忠知が領主となるが,その急逝後,35年伊勢国桑名城主松平(久松)定行が15万石の領主となり,廃藩まで松平氏14代の支配が続いた。その領地は風早郡,和気郡,久米郡,温泉郡,伊予郡,浮穴(うけな)郡に及んだ。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」