談山神社(読み)たんざんじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「談山神社」の意味・読み・例文・類語

たんざん‐じんじゃ【談山神社】

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。旧別格官幣社。祭神は藤原鎌足。天武天皇七年(六七八)鎌足の子定慧真人)が創立した妙楽寺聖霊院にはじまる。天下に大事がある時は神像が破裂し山上が鳴動すると伝えられ、皇室をはじめ藤原氏などの信仰が厚かった。和銅八年(七一五)四月の銘がある大和国粟原(おばら)三重塔伏鉢は国宝。多武峰社。大織冠社

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デジタル大辞泉 「談山神社」の意味・読み・例文・類語

たんざん‐じんじゃ【談山神社】

奈良県桜井市多武峰とうのみねにある神社。祭神は藤原鎌足ふじわらのかまたり。鎌足の子、定慧じょうえにより創建された妙楽寺聖霊院が起源。天文元年(1532)に再建された木造十三重塔がある。大織冠たいしょっかん社。多武峰社。

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日本歴史地名大系 「談山神社」の解説

談山神社
たんざんじんじや

[現在地名]桜井市大字多武峰

多武峯とうのみね御破裂ごはれつ山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠たいしよつかん社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽みようらく寺と聖霊しようりよう院の対立を防ぐために、延長四年(九二六)に天神地祇・八百万神を奉斎し、鎌足神像を合祀した惣社が建立され、談峰権現の賜号を受けたことに始まり、後花園上皇の時には談山大明神の神号を得、正一位勲一等に叙せられたという。多武峯一山内では仏教的信仰と神道的信仰とが混在していたが、江戸時代には神道勢力が強まり、明治維新後の神仏分離に際して仏教色を除き、明治二年(一八六九)六月三〇日の大祓の日をもって談山神社となり、多武峯寺の諸堂宇のうち聖霊院を神社本殿、護国ごこく院を拝殿とし、十三重塔婆は神廟とよばれ、講堂がその拝所となった。また常行三昧堂かり殿、護摩堂を祓殿、如法堂を摂社東殿とした。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔塔婆〕

国指定重要文化財。三間一三重の塔婆で檜皮葺。棟札によれば享禄五年(一五三二)の再建で、寛永一八年(一六四一)に大修理が行われた。二重の基壇に立つ塔の初重の屋根は他の層に比してかなり高さもあり、とくに大きく造られている。他の層は屋根を積重ねたように相接し、頂には青銅の七輪の相輪を載せる。木造十三重塔では唯一の遺品で、塔内には文殊菩薩像が安置されていた。

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改訂新版 世界大百科事典 「談山神社」の意味・わかりやすい解説

談山神社 (たんざんじんじゃ)

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足をまつる。大織冠(たいしよくかん)社,多武峯社ともいった。669年(天智8)没した鎌足は摂津国阿(安)威山(現,大阪府茨木市)に葬られたが,入唐中の長男定慧(恵)が帰朝後,弟の不比等と相談して多武峰に改葬,十三重塔を建てた。ついで堂を建て妙楽寺と称したのを草創とし,701年(大宝1)近江の彫匠高男丸の造った鎌足の木像を安置する殿舎を建て,聖霊院と号し,両者を多武峯寺と総称した。以後藤原氏一門のみならず朝野の崇敬をうけたが,妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐため,926年(延長4)醍醐天皇より談峰権現の神号を,のち後花園天皇より談山明神の神号を賜った。当社の神威として,神像破裂,山上鳴動のことがある。すなわち,天下に事がおころうとするとき,鎌足の神像が破裂し,山上が鳴動,898年(昌泰1)より1607年(慶長12)までに37度それがあったとするが,そのつど,朝廷より勅使が遣わされて奉幣,祈謝し,それにより神像は復旧,事なきを得たと伝える。947年(天暦1)実性が多武峯座主となってより延暦寺との関係が深くなり,大きな勢力をもったため興福寺などと対立した。また兵火による全山焼失などのこともあったが,近世には3000石の朱印寺領を有し,多くの堂坊を擁して栄えた。1869年(明治2)神仏分離により衆徒は復餝還俗,堂舎のうち聖霊院を本殿,護国院を拝殿として談山神社となった。旧別格官幣社。11月17日の例祭のほか,10月11日嘉吉祭などがあり,建造物,宝物等に往時をしのばせる。
多武峰
執筆者:

境内東部に南面して立つ本殿,その前方にたつ懸造(かけづくり)の拝殿,これらを囲む透廊(すきろう)や楼門,近くにたつ宝殿などを中心とした一郭がある。現在の姿は江戸時代初期の1619年(元和5)の造替によるものである。ただ,本殿はその後に数回造替され,現在のものは1850年(嘉永3)建立の三間社隅木入り春日造。これまでに造替された旧本殿のうち1619年,1668年(寛文8)のものが,移築されて摂社として境内に鎮座する。本殿を中心とした社殿の西に,檜皮葺き朱塗の木造十三重塔(神廟,1532),権殿(かりどの)(旧常行堂,室町後期),神廟拝所(旧講堂,1668),閼伽井屋(江戸前期)などがたつ。なおこの神社には,1566年(永禄9)の本殿の平面,断面や調度の図面が保存されており,この種の本格的な図面では最も古い。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「談山神社」の意味・わかりやすい解説

談山神社
たんざんじんじゃ

「だんざんじんじゃ」とも。奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足(かまたり)を祀(まつ)る。678年(天武天皇7)に鎌足の長子、僧定恵(じょうえ)が、父の遺骸(いがい)を大和(やまと)国多武峰に改葬し、十三重塔(国重要文化財)を建て、翌年には堂舎を建立して、妙楽寺と号したのがその初めであるという。なお現在の十三重塔は1532年(天文1)の再建である。701年(大宝1)に聖霊殿を設け鎌足像を安置した。のち醍醐(だいご)天皇から「談山権現(ごんげん)」、後花園(ごはなぞの)天皇から「談山大明神(だいみょうじん)」の号を賜り、つねに国家を鎮護する神として大きな崇敬を得た。江戸幕府から寄進された朱印領は3000石。明治の神仏分離政策により山内の多くの寺院は破却された。1874年(明治7)別格官幣社に列格。例祭は11月17日。和銅(わどう)8年(715)の銘がある三重塔伏鉢(ふくばち)は国宝に、絹本着色大威徳明王(だいいとくみょうおう)像や刀剣類6振、石灯籠(いしどうろう)などが国の重要文化財に指定されている。

[熊谷保孝]


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百科事典マイペディア 「談山神社」の意味・わかりやすい解説

談山神社【たんざんじんじゃ】

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。〈だんざん〉とも。旧別格官幣社。藤原鎌足をまつる。701年摂津の阿威山から鎌足をここに改葬したと伝える。天下に異変が起きようとすると神像破裂,山上鳴動があるという。例祭は11月17日。ほかに嘉吉祭(10月10〜11日)。社殿は壮麗で十三重塔がある。
→関連項目桜井[市]多武峰

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「談山神社」の解説

談山神社
たんざんじんじゃ

大織冠(たいしょくかん)社・多武峰(とうのみね)社とも。奈良県桜井市多武峰に鎮座。旧別格官幣社。祭神は藤原鎌足(かまたり)。鎌足の子定慧(じょうえ)が摂津国阿威山から多武峰に遺体を移し,十三重塔を造立して葬ったのが起源と伝える。当初は多武峰寺(妙楽寺)と称し,701年(大宝元)鎌足の木像を祭った。926年(延長4)には惣社の談山権現が建立されたという。変事には鎌足木像が破裂し,多武峰が鳴動するといわれた。1869年(明治2)神仏分離により談山神社と改称。例祭は11月21日。1532年(天文元)再建の十三重塔や寛文年間再建の本殿などは重文。所蔵の粟原寺三重塔伏鉢は国宝。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「談山神社」の意味・わかりやすい解説

談山神社
だんざんじんじゃ

奈良県桜井市多武峰に鎮座する元別格官幣社。談山権現,多武峰大明神,多武峰社,大織冠社ともいう。祭神は藤原鎌足。鎌足の長子定慧 (藤原真人) の創建と伝える。例祭 11月 17日。『粟原寺三重塔伏鉢』 (国宝) を所蔵する。

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デジタル大辞泉プラス 「談山神社」の解説

談山(たんざん)神社

奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は藤原鎌足。鎌足の息子、定慧(じょうえ)が阿威山から鎌足を当地に改葬、十三重塔と寺を建立したのが起源と伝わる。現在の十三重塔(重文)は16世紀に再建されたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の談山神社の言及

【多武峰】より

…本居宣長は《菅笠日記》に参詣記をとどめている。明治の神仏分離により,多武峯寺は談山(たんざん)神社となった。談山神社【熱田 公】。…

【多武峰猿楽】より

…奈良県多武峰(古くは〈たんのみね〉)の談山神社に勤仕した猿楽能。談山神社は明治以降の名で,古くは神仏混交で妙楽寺と寺社総合して単に多武峰と呼ばれることが多かった。…

【藤原鎌足】より

…大化改新の功臣で藤原氏の始祖。もと中臣連(なかとみのむらじ)鎌足。父は弥気(みけ)(御食子(みけこ),御食足(みけたり)とも)といい,推古・舒明朝に仕えた神官で,地位は大臣(おおおみ),大連(おおむらじ)に次ぐ大夫(まえつぎみ)。母もやはり大夫の大伴連囓(おおとものむらじくい)(咋子(くいこ)とも)の娘で智仙娘(ちせんじよう∥ちいさこ)といい,大連の大伴金村(かなむら)の孫。生まれたのは推古天皇の朝廷のあった小墾田(おはりだ)宮に近い藤原。…

※「談山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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