松山庄・松山津(読み)まつやまのしよう・まつやまのつ

日本歴史地名大系 「松山庄・松山津」の解説

松山庄・松山津
まつやまのしよう・まつやまのつ

松山庄は古代の阿野あや郡松山郷(和名抄)の名称を継ぐ白峯しろみね寺領。保元の乱に敗れて讃岐に配流された崇徳上皇は長寛二年(一一六四)に没し、松山郷白峰山上にある白峯寺の北西の地に葬られた。応永一三年(一四〇六)成立の白峯寺縁起によると、院の近習者であった遠江阿闍梨章実が国府にあった御所を白峯寺に移して、その境内に頓証とんしよう寺を建立。治承年間(一一七七―八一)に松山郷青海おうみ河内(阿野郡甲智郷という説もあるが不詳)の地が寄進されたという。なお「玉葉」建久二年(一一九一)閏一二月二二日条に、崇徳天皇陵の付近に一堂を建てて仏像を置くことについて評議がなされた時、民部卿吉田経房が讃岐国では以前から仏寺が置かれ田園も寄せられているようだと述べているのは、縁起の伝えを裏付けるものと思われる。

縁起によれば建長五年(一二五三)後嵯峨上皇によって、さらに松山郷が寄進された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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