東粟野村(読み)ひがしあわのむら

日本歴史地名大系 「東粟野村」の解説

東粟野村
ひがしあわのむら

[現在地名]岐阜市粟野東あわのひがし粟野あわの三田洞東みたほらひがし一丁目

三田洞村の北に位置し、嘉永三年(一八五〇)の村絵図(河野家蔵)によれば、集落は七ヵ所ほどに散在し、北は高富たかとみ(現山県郡高富町)町並に連なる。中世には一帯に京都安楽寿院領粟野庄が成立していた。文治四年(一一八八)以後に作成された安楽寿院領諸庄所済注文案(安楽寿院古文書)に「粟野庄」とみえ、岡崎宮法印が預所で、本田八〇町から八丈絹八〇疋と糸一五〇両が年貢として貢進されていたが、治承・寿永の合戦以降、糸は未納となっている。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)では、坊城俊定が預所であった。なお年月日未詳の美濃国粟野庄等文書目録案(醍醐寺文書)に「一結 粟野庄事」とみえ、当庄のなんらかの権利が山城醍醐寺に移ったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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