東大塚村(読み)ひがしおおつかむら

日本歴史地名大系 「東大塚村」の解説

東大塚村
ひがしおおつかむら

[現在地名]羽曳野市南恵我之荘みなみえがのしよう一―七丁目

丹北郡に属し、丹南郡西川にしがわ村・丹下たんげ村の南に位置する。当村から西隣の西大塚村(現松原市)にまたがって大塚山おおつかやま古墳がある。元禄一〇年(一六九七)の古絵図写(吉村尭家蔵)によると、集落耕地の一部は東堀(東池)・西堀(西池)・北堀(北池)三池(大塚山古墳の周濠、荒墓池と総称)に囲まれ、ほぼ中央の墳頂にある松林を境に東側が当村域。

東大塚村
ひがしおおつかむら

長上ながのかみ郡に所属。掛塚かけつか輪中北端に位置し、南は豊田とよだ西堀にしぼり村・川袋かわぶくろ村、西は天竜川を挟んで同郡老間おいま(現浜松市)など。中世大塚郷の遺称地(浜松市の→西大塚村。松平忠頼領郷村帳に村名がみえ高三七石余、田五反余・畑四町四反余。天保郷帳では高五三石余。元和三年(一六一七)の水野重仲知行目録に村名がみえ、同五年には幕府領(池田川西代官所高帳)正保郷帳・国立史料館本元禄郷帳・旧高旧領取調帳ともに幕府領。「遠淡海地志」では「内輪中」のうちとあり家数は一三。天竜川池田いけだ(現豊田町)の渡船では大助船役郷として小船一艘を勤めとした(寛政四年「天竜川渡船由緒書上帳」天竜川船越渡船資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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