本覚山(読み)ほんかくさん

日本歴史地名大系 「本覚山」の解説

本覚山
ほんかくさん

[現在地名]那覇市首里山川町二丁目

首里城の北北西、近世山川やまがー村の北西部にあった金武按司家の墓。チンウドゥンヌハカとよばれる。天啓四年(一六二四)に死去した尚豊の生母の墓として造営された。本覚山はその山号。東隣に山川やまがー陵がある。墓室は南南西を向き、岩盤を掘削して造営されている。墓域内にある天啓四年一〇月の紀年銘のある本覚山碑文によると、尚豊王(在位一六二一―四〇年)は生母(金武大阿母志良礼)が死去すると本覚山に腕の良い石工を集め、「二夜三日」あるいは「一七日の内」という短期間で墓を造営し、一〇月六日に葬送した。葬礼には国中の僧俗が参列したほか、天啓帝の即位・成婚の詔を与えるため渡来していた蕭崇基らも供物を供え、代官祭文を代読させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報