本目村(読み)ほんめむら

日本歴史地名大系 「本目村」の解説

本目村
ほんめむら

明治一二年(一八七九)より同三九年まで存続した村。明治一二年四月本目村・厚瀬あつせ村が合併して新たに本目村が成立。同一二年の「共武政表」では本目村字厚瀬とあり、戸数二四・人口一〇一、日本形船舶一一一、物産は鯡・鰊・鯣・鯑・鮑・煎海鼠木材・薪とある。同一六年の漁家戸数八六・人口一三六、漁船一三〇、建網一二・手繰網五七〇(島牧村史)。同二〇年本目外二ヶ村戸長役場が永豊外六ヶ村戸長役場に合併(同三二年分離)。明治二二年真宗本目山超勝ちようしよう寺が開かれ(現真宗大谷派)、同二四年寺号公称。同二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数一一九、男四二二・女三六九、倉庫一六、厩四、学校一、艀漁小廻船二一四。「状況報文」によれば、同三一年の戸数一四一・人口九八九で、移民秋田石川・新潟三県からの者が多く(青森・岩手両県人がこれに次ぐ)、同三二年の鰊建網一三統・鰊差網一千四六九放、ほか鱈釣船一艘、海鼠曳一二人・鮑突一七人、漁業生計を営む者九〇余、農・商兼業の者四〇戸ほど、村医一名、丹内飼畜場(南部産馬)、酒造家一戸(造高二一七石余)、小売店二〇余戸、本目尋常小学校がある。

本目村
ほんめむら

[現在地名]島牧郡島牧村字本目・字折川おりかわ・字小川おがわ・字みなと

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同一二年(一八七九)まで存続した村。飼鹿かいしか村の北東にあり、折川が流れる。西部に本目岬がある。村名は近世にみえるホンムイ(山川地理取調図)に由来するが、明治三年六月仏光ぶつこう(現京都市下京区)によりホンメを本目村とするよう指示された(「島牧郡之内支配開拓帳」島牧村史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android