秋田(読み)アキタ

デジタル大辞泉 「秋田」の意味・読み・例文・類語

あきた【秋田】[地名]

東北地方北西部の県。県庁所在地は秋田市。かつての羽後の大半と陸中の一部を占める。人口108.6万(2010)。
秋田県中西部、雄物おもの下流の市。県庁所在地。もと佐竹氏の城下町。旧名、久保田。8月に行われる竿灯かんとう祭は東北三大祭りの一。人口32.3万(2010)。

あきた【秋田】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「秋田」姓の人物
秋田雨雀あきたうじゃく
秋田実あきたみのる

あき‐た【秋田】

稲の実っている田。
「植ゑてにし―刈るまで見えこねば今朝初雁のにぞ鳴きぬる」〈古今・恋五〉

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精選版 日本国語大辞典 「秋田」の意味・読み・例文・類語

あき‐た【秋田】

[1] 〘名〙 (「あきだ」とも) =あき(秋)の田
※万葉(8C後)八・一五五六「秋田刈る仮廬(かりほ)もいまだこほたねば雁が音(ね)寒し霜も置きぬがに」
[2]
[一] 秋田県中西部、雄物川河口の地名。古くは齶田(あぎだ)、飽田(あくだ)といい、天平五年(七三三)、出羽柵(いではのき)高清水岡に置かれた。室町時代は安東氏が支配、江戸時代は久保田と呼ばれ、佐竹氏二〇万石の城下町として繁栄。明治二二年(一八八九)市制。県庁所在地。
[二] 「あきたけん(秋田県)」の略。

あきた【秋田】

姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「秋田」の意味・わかりやすい解説

秋田[県] (あきた)

基本情報
面積=1万1636.25km2(全国6位) 
人口(2010)=108万5997人(全国38位) 
人口密度(2010)=93.3人/km2(全国45位) 
市町村(2011.10)=13市9町3村 
県庁所在地=秋田市(人口=32万3600人) 
県花フキノトウ 
県木=秋田スギ 
県鳥=ヤマドリ

東北地方の北西部に位置し,日本海に臨む県。東西約80km,南北約160kmで長方形に近い。

秋田県の範囲はかつての出羽国の北半部と陸奥国の一部にあたる。1868年(明治1)出羽国,陸奥国が分割され,江戸時代の秋田(久保田)藩,秋田新田(岩崎)藩,本荘藩矢島藩,亀田藩の各藩領は羽後国に,また盛岡(南部)藩領であった鹿角郡は陸中国となった。71年廃藩置県をへて現在の秋田県が成立した。由利郡の旧天領などは酒田県,山形県をへて編入された。

秋田県は調査された遺跡の数が,たとえば隣りの岩手県にくらべてかなり少なく,したがって先史・古代史に不明の部分も多い。これは新幹線や高速自動車道の工事がないため,大規模・広範囲な発掘が行われていないことにもよるだろう。逆にいうとそれだけ貴重な埋蔵文化財が破壊されずに残っている,ということにもなる。先土器文化の様相も長い間ほとんどわからなかったが,1969年以降,米ヶ森(よねがもり)遺跡(大仙市)の調査で,ナイフ形石器などの石器群が明らかにされ,調査・研究の先鞭がつけられた。

 縄文文化の遺跡も多くはないが,なかで大湯環状列石(鹿角市)は,おそらく全国でも最も著名なものであろう。縄文後期中葉の最大径50mもの配石遺構群である。この種の配石遺構は,県内はもとより東日本中心に多数調査されているが,ここでの調査がきっかけとなったのである。性格については,祭祀説,墓地説があって決着はついていないが,いずれにせよこの時期のこの地域に,これだけ大規模なものを構築するだけの共同体が成立していたことは注目すべきであろう。藤株遺跡(北秋田市),麻生遺跡(能代市)は,いずれも縄文後・晩期の集落址である。矢石館遺跡(大館市)は縄文晩期の石棺状石組みが出土したことで知られる。本県は貝塚も少ないが,柏子所(かしこどころ)貝塚(能代市)は8体の人骨や多数の貝輪を出土した縄文晩期の貴重な例である。

 晩期縄文文化が,東北南部や北関東の弥生文化の影響をうけつつ生み出していった過渡的な文化が,志藤沢(しとざわ)遺跡(男鹿市)にみられる。縄文・弥生両方の特徴をもつ土器とともに,籾痕のある土器片も発見された。青森県田舎館村の事例とあわせ興味深い。

 古墳時代では,中期にさかのぼる古墳はいまのところなく,小阿地古墳群(秋田市)など,4ヵ所知られる小規模な古墳群はいずれも8世紀代である。つまり,これら古墳群が築造されたのは,出羽蝦夷と律令政府軍とが対峙していた奈良時代であるが,同じころ律令政府により,東北経営・戦略の基地として築かれたのが秋田城(秋田市),雄勝(おがち)城(雄勝郡羽後町),払田柵(ほつたのさく)(払田柵遺跡。大仙市,仙北郡美郷町)であった。いずれも発掘調査の結果,その政治的・軍事的拠点としての構造・性格の一端が明らかにされ,墨書土器や木簡など貴重な資料も出土している。
出羽国

11月下旬~12月中旬,寒冷前線の通過に伴い,雷鳴とともにハタハタの大群が沿岸に押し寄せる。このころから3月上旬までが降雪期で,海岸部の秋田市で約3m,内陸部の横手市で約7mの降雪があるが,これは対馬暖流と北西季節風のもたらすものである。県下では横手市,秋田市などで,雪国特有のかまくらの行事が行われる。1月平均気温は秋田市で-0.5℃であるが,内陸盆地では約2℃ほど低くなる。4~5月はフェーンの性質をもった南東風が卓越し,梅,桜,リンゴなどが一斉に咲きそろう。梅雨の現象は弱く,夏の高温期間も短く,晩秋~冬季を除けば,おおむね快適である。ハタハタは市場性は低いが,県の海産魚類の半ばを占め,男鹿半島および八峰町の旧八森町のハタハタ漁は,近世以来《秋田音頭》にうたわれ,そのすしは年越の食膳に欠かせぬものであったし,その〈しょっつる〉は〈きりたんぽ〉とともに秋田の味の代表である。

 秋田県は奥羽山脈,白神山地,丁岳(ひのとだけ)山地と鳥海山などによって三方を囲まれており,これらの山地は豊かな森林,地下資源を提供してきた。またその山地から流出する雄物川,米代川,子吉川は,流域にそれぞれ肥沃な横手盆地と秋田平野,花輪・大館・鷹巣各盆地と能代平野本荘平野などを形成し,ここに経営耕地面積全国7位(1996)の農業地域がひろがる。一方,後述のように地の利にとぼしく,中でも首都圏と隔たっていることは,他産業とくに第2次産業を著しく不振たらしめ,人口支持力も弱く,年々数万人の出稼者を送り出してきた。反面,開発が遅れたことで八幡平などに代表される自然が多く残され,観光客を集めている。

全国有数の農家率,農家人口率,経営耕地面積をもつ秋田県であるが,県内純生産に占める農業の比率は1割程度にすぎない。しかし就業構造からみると農業就業者は16%(1990)と以前に比べて少なくなったとはいえ,農業は基幹産業である。鹿角(かづの)地方を除くと偏東風(やませ)による冷害をうけることが少なく,水利の便もよいため早くから高水準の水稲単作地帯として開発されてきた。単作は多雪と,100日前後の根雪期間に由来する。元来,水田率は明治・大正期で7割強と高率であったが,1996年には9割弱に高まった。水陸稲収穫量は61.3万t(平年作なみの1996年。北海道,新潟に次いで全国3位),反当り収量は581kg(同年。山形,青森に次いで3位)ときわめて高い。農業粗生産額に占める米の割合は約7割(1992)で,かなりの米産偏重となっている。また〈米の秋田は酒の国〉で〈東北の灘〉と称される湯沢市はじめ,各地に酒造場があり,兵庫県,京都府,新潟県に次ぐ全国4位の生産量を誇る。なお秋田清酒の醸造指導に当たっている山内(さんない)杜氏(横手市の旧山内村)は特筆に値する。米に次ぐ重要農産物にリンゴがあるが,生産量は全国産の3.8%(3.7万t,全国6位,1995年)にすぎない。主産地は県南部の横手市~湯沢市と,県北の鹿角市に限られ,ふじ,デリシャス系が大部分で,とくに県南部の高級種は平鹿リンゴの名で大半が移出される。野菜は栽培面積,生産量ともに少なく,冬季~春先にかけて年々大量に移入している。

秋田県は林野面積が全国5位(1990),素材生産量が全国4位(1995)を誇る林業県で,日本三大美林の一つに数えられる秋田杉の名声は高く,ほかにブナ,ナラも重要である。秋田杉は材質優美で軽く,弾力性に富むことから,近世以降は建築材などとして広く国内で利用されてきたが,これは秋田藩の林政にあずかるところが大きい。秋田杉の産地は米代川流域を主とし,全県にわたるが,能代市をはじめ各地に地場産業の代表としての木材工業が栄えた。しかし永年の伐採と第2次世界大戦中の乱伐のため,その蓄積は急速に減少し,大幅の外材輸入を余儀なくされ,業界事情は一変した。

 秋田県は近世以前から全国一の鉱山地域として著名であった。鉱山の特色は,鹿角地方を中心に黒鉱鉱床が発達し,銅鉱,硫化鉱,鉛鉱が全国産出の約半分を占めるなど非鉄金属鉱の生産が多く,尾去沢,院内,阿仁,小坂,花岡の各鉱山(以上各項参照)は国内屈指の規模を誇った。しかし1985年以降の急激な円高などにより衰退し,すべて休・閉山した。一方,秋田市の八橋(やばせ)油田は,戦後国内最大の油田として脚光を浴びたが,1959年をピークに生産は減退している。

 県の工業の特徴は県内産の資源を背景とした木材・木製品,清酒醸造を主とした食料品,非鉄金属などの地場産業が上位を占めてきた。付加価値の高い第2次産業の強化振興のために,1978年以来進められてきた新産業都市秋田湾地区開発計画はその後の国内外の情勢変化により休止符が打たれた。その後,秋田新空港周辺の電子部品を中心とした工業団地造成などにより電気機器工業(37%,1995)が盛んになってきている。

三方を山に囲まれているため,古来交通路は南北に通じるものが主要で,近世には羽州街道がほぼ現在の奥羽本線沿いに,酒田街道が羽越本線沿いに通じていた。隣接地域との交通は峠越しに行われたが,冬季は積雪に災いされ,きわめて不便な状態にあった。米代,雄物,子吉の3河川はいずれも近世から明治末まで重要な交通路で,河口や河岸に多くの港町が栄えたが,鉄道開通後はさびれた。西廻・東廻海運が近世以降開けたが,冬季は欠航を余儀なくされ,明治末の奥羽本線開通以前は自然風土上は閉鎖的であり,文化・社会にも著しい影響を与えてきた。交通は先進地域と比べると立ち遅れ,地域開発の隘路となってきた。鉄道は1905年奥羽本線,24年には羽越本線が開通し,羽州街道が国道13号線に,酒田街道が7号線となった。出羽山地や奥羽山脈を横断するものは,施設,利用ともにローカル線の域を出なかったが,97年3月田沢湖線を改軌して〈秋田新幹線〉が開通,同年秋には秋田自動車道が岩手県北上市に通じた。東北自動車道が建設されたが,秋田県では鹿角地方を通過するにすぎない。一方,空の交通は1961年,秋田市海岸部に空港が開設されたが,81年6月からは秋田市中部の新空港にその業務をひきついだ。

秋田県では地勢や気候などの自然環境,歴史,伝統,生活様式などの人文環境の相違から,全県を三分して,米代川流域を県北,雄物川下流域,男鹿半島,子吉川流域を県央,雄物川上・中流域を県南とする。

(1)県北 米代川の上流より鹿角,大館,能代の3地方が東西に並ぶ。花輪盆地を中心とする鹿角地方は旧盛岡藩領で,伝統的に盛岡・八戸地方との関係が深く,弘前地方との関連もみられる。家屋様式,言語,慣習などに旧盛岡藩領の面影を濃くとどめている。盆地周縁では有力鉱山が開かれ,大館地方とともに典型的鉱山集落が発達したが,1994年までにすべて休・閉山となった。農業(米作,畑作,畜産)を基本に,林業が経済基盤を培うが,しばしばおこる冷害克服が課題である。大館盆地を中心とする大館地方は鹿角地方と弘前地方との漸移帯で,両地方との類似点が少なくない。この地方は県内では開発が最も遅れた地域で,式内社や古い神社を欠くこと,阿仁の山間部にまたぎ集落が分布することなどにもそのことが裏付けられる。経済基盤は鹿角地方と大差はないが,林業依存度がより大きい。能代平野を中心とする能代地方は河口能代の歴史が古く,早くから関西・北陸方面からの来往があり,また鹿角地方や近世以降の藩主移封に伴う水戸方面からの移住などで人的構成は複雑である。能代平野は秋田平野と連続し,開発は古いが米代川全流域を後背地として商業活動が盛んである。能代は明治以降盛んになった製材業で全国的に知られたが,最近は資源枯渇のため衰退し,合板,張柾(はりまさ)業などが興っている。

(2)県央 雄物川下流および馬場目川下流域の秋田平野を中心とする秋田地方は県中央部に位置し,開発の古いことは秋田市寺内にある古代の秋田城跡(史)や,古四王神社の所在によっても知られる。常陸から佐竹氏が転封した後,秋田(久保田)は秋田六郡を統べる城下町となり,水戸の新文化も流入し,文芸も興った。また河口土崎湊(現,秋田港)は,雄物川全流域を後背地,北陸・関西方面を前方地として栄え,その商業経済力は絶大であった。明治以降,とくに奥羽本線開通後は,秋田市は県の政治・経済・文化の中枢となった。周辺農村は豊かな水田地帯であるが,明治後半から地主出資による地方銀行が設立され,しだいに農民を経費面で掌握して耕地は地主に集積され,農地改革までは横手地方とともに小作農が多かった。かつて琵琶湖に次ぐ大湖であった八郎潟は,1957年以降の国営干拓によって干拓され,64年には大潟村が誕生し,大規模機械化農業が行われている。日本海に突出する男鹿半島を中心とする男鹿地方には戸賀,船川,北浦などの港が発達したが,本山および寒風山の火山性山岳地帯が大部分で農業は不振である。ハタハタ漁が主要産業である沿岸漁村は第2次世界大戦前は,北洋漁業出稼ぎの多かったところである。男鹿地方には小正月の仮面仮装の来訪神として著名ななまはげ行事がみられる。県南西部を占める本荘地方は江戸時代,本荘,亀田,矢島の各藩領,旗本領,天領などに細分統治され,それぞれ独立的色彩が濃かったうえ,庄内地方に隣接してその影響を受け,言語,生活様式,気質など,旧秋田藩領とは異なった特色を有する。この地方は降雪量が少なく耕作(無霜)期間が長いという,米作の好条件に恵まれ,また明治後期には乾田馬耕の新農法が普及し,農業生産力は大きい。

(3)県南 横手盆地を主要部とするこの地方は県内で最も水田の卓越する地域で,人口密度,集落密度は県内最高である。しかし農家1戸平均水田面積,畑(樹園地とも)面積とも小さく,零細農家が多い。農地改革以前は農家の生活は苦しく,若年層の出稼ぎや,大型農家の住込み年雇が多く,小作争議が頻発した。戦後ほとんどの農家は自作農となったが,農業と他産業との所得格差は依然大きく,1960年ころから世帯主や跡継ぎを主とする出稼ぎが急増した。

 一方,70年から実施された米の生産調整は,農家経営の上で厳しい対応をせまってきた。都市部では地場産業の醸造業(清酒,みそ,しょうゆ)や製材,木工業が興ったが,総じて製造業は劣勢で,資本の蓄積も弱い。仙岩峠などによって南部地方と交流のあった盆地北部の田沢湖地方は〈南部曲家〉が散見され,美人のほまれ高い〈秋田おばこ〉と県内民謡の本場である。
執筆者:


秋田[市] (あきた)

秋田県中西部,日本海に臨む市で,県庁所在都市。2005年1月旧秋田市が河辺(かわべ)町と雄和(ゆうわ)町を編入して成立した。人口32万3600(2010)。

秋田市西部の旧市で,県庁所在都市。人口31万7625(2000)。1889年市制。当時は面積約4.5km2,人口約2万9000にすぎなかったが,その後数度にわたって土崎港町など近隣町村を合併,1954年には周辺12村を編入し,面積460km2となった。古くは高清水の岡に出羽柵(でわのき)(秋田城)が設けられたこともあるが,近世初期,常陸の佐竹氏が当地に移封され,のち260年間久保田と呼ばれ,その城下町となった。城下の町割りの大筋は現在でも旧市街の随所に残存しているが,最近の市街地再開発によって,市街の様相は一変した。近世以来の行政,経済,交通,文化の中心であるが,1935年ころまでの工業は小規模な製材業,醸造業程度で,典型的消費型都市であった。昭和10年代の国の東北開発振興政策で,パルプ(新屋(あらや)),化学肥料(茨島(ばらじま))などの近代工業が興り,八橋(やばせ)油田の開発は製油・石油化学工業(土崎)に寄与した。1965年,新産業都市指定とともに,秋田湾地区開発計画が策定され,秋田港の大改修と火力発電所建設を軸に,製錬所(飯島),製紙,合板など(向浜)の工場が誘致されたが,高度成長期が終わるとともにこの計画も大幅に見直されることになった。最近は秋田テクノポリス構想に基づいて電気機器・精密機器工業が急速に発展し,市の製造品出荷額は県の約2割(1995)を占めている。市の中心部は中通,大町,山王などで,山王には県庁,市役所,中央官庁出先機関などが集中し,官公庁区を形成,その北西には運動公園,文化会館などがある。商業・金融機関は中通,大町に集積し,駅前,広小路,中央通りの商店街も整備された。卸売商圏はほぼ全県をおおうが,小売商圏は秋田駅を中心とした半径約35kmの範囲である。1960年ころから市街地周辺の住宅地化が著しく,過去20年間に約1600haの田畑が壊廃された。市内に秋田大学や旧城址の千秋公園などがある。行事では七夕祭の竿灯(かんとう),特産物では銀線細工,秋田フキなど,食物ではきりたんぽ,しょっつるが有名。81年新空港(当時は河辺郡雄和町)が開設され,97年3月には秋田新幹線(田沢湖線)が開通,同年7月には秋田市からの秋田自動車道が東北自動車道に接続して,東京との交通は便利となった。
執筆者:

秋田市北東部の旧町。旧河辺郡所属。人口1万0669(2000)。雄物川支流の岩見川流域を占め,北部から北東部にかけて太平山地,出羽山地の山々が連なる。中心の和田には奥羽本線が通じ,広大な山林を後背地として製材業が盛ん。米作のほかに畜産,リンゴ栽培が行われ,大張野,上野台などの台地では野菜栽培が盛ん。大張野は1880年士族授産団体秋成社により政府の援助を得て開拓されたが,経営不振から1902年には離散し,第2次世界大戦後,再び開拓された。出羽山地を越える河北林道,田沢スーパー林道の建設により北秋田市の旧阿仁町,仙北市の旧西木村に通じ,両地域と秋田市を結ぶ最短路となっている。岩見峡岨谷(そや),三内峡の渓谷美や天然記念物の筑紫森岩脈が有名。秋田自動車道が通り,日本海東北自動車道が分岐する。

秋田市南東部の旧町。旧河辺郡所属。人口8352(2000)。旧秋田市の南に接し,南部と西部は出羽山地に属する丘陵地。中央部を雄物川が蛇行しながら北流し,沿岸に耕地が開ける。近世以来,雄物川舟運の要所として栄えたが,1905年の奥羽本線,24年の羽越本線の開通により舟運は衰えた。米作が主であるが,丘陵部では肉牛の飼育なども行われており,64年には畜産センターが開設された。81年に西部の椿川に新秋田空港が開港した。空港の周辺には,スポーツ施設を中心とした秋田県立中央公園が建設されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の秋田の言及

【久保田】より

…出羽国秋田郡の佐竹氏(秋田藩)の城下町。現在の秋田市。…

※「秋田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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