本町村(読み)ほんまちむら

日本歴史地名大系 「本町村」の解説

本町村
ほんまちむら

[現在地名]藪塚本町大原おおばら

大間々おおまま扇状地の中央に位置し、北は久々宇くぐう村・桃頭ももがしら(現笠懸村)、東は藪塚村やぶ村、西は大久保おおくぼ村。村央を南北に銅山あかがね街道が走り、その東側を河岸かし街道(旧銅山街道)が通る。寛文年間(一六六一―七三)笠懸野かさかけの開発により成立した新田村。寛文一一年の岡上開拓絵図(片山家蔵)には銅山街道沿いの家が描かれるが、村名は記されない。翌一二年の岡上景能より各地銅問屋に宛てた密売買禁止申渡(高草木文書)には笠懸新田とみえる。同新田の銅問屋として西村庄左衛門の名が記されており、すでに当地が宿となっていたらしい。元禄一〇年(一六九七)笠懸野新田絵図(片山家蔵)には「本町分」、元禄郷帳には本町とみえ、開発以来幕府領。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領、旗本松平領の二給。旧高旧領取調帳では幕府領。

笠懸野新田絵図には、銅山街道の両側に並ぶ三八戸の家が描かれ、中央から東へ吾妻あづま道が分岐している。分岐点には宝暦四年(一七五四)建立の道標が残る。当村は笠懸野新田の中心村、銅山街道の宿として設けられたもので、中心部は大原宿とよばれた。延享四年(一七四七)大間々(現山田郡大間々町)から桐原きりばら(現同上)への銅問屋変更取消申請書(「山田郡誌」所収)には「大原本町村」とある。

本町村
もとまちむら

[現在地名]平賀町本町

北西の大光寺だいこうじ村と村続きで、南は柏木町かしわぎまち村、西を六羽ろつぱ川が北流する。

天和四年(一六八四)の書上帳によれば、本町・藤山ふじやま二ッ屋ふたっやの三村が一村となったとあり、家数四〇、うち本屋敷二五、裏屋敷四、支村屋敷一〇、裏屋敷一とある。貞享四年(一六八七)検地帳に村高七八五・六六二石、うち田方六四町七反六畝五歩、七四七・二九七石、畑方七町一反七畝、三八・三六五石とあり、ほかに田地二反四畝、漆木一九本、空地四反六畝、永荒畑二畝二四歩があり、さらに観音堂、蓮池、境内林、山伏観常院抱えの大日堂地があり、屋敷持百姓は三五人。元禄三年(一六九〇)には大光寺組に属し、村位は上(平山日記)。文政九年(一八二六)の「小和森村今井仁兵衛記」に高七九三・九九石、うち田方七五七・二六石、家数七一、うち百姓一八、高無四九、医者一、修験二、人口三三二、うち男一七二、女一六〇、馬五九匹。

本町村
もとまちむら

[現在地名]吉田町本町

東は鴻巣こうのす村、西は西にし川を境に夏井なつい(現岩室村)に耕地を接する。元和四年(一六一八)長岡藩知行目録は高四五三石七斗余。正保国絵図では四七五石余。慶安二年(一六四九)長岡藩の検地があった(皇国地誌)。文政一三年(一八三〇)の長岡領分高附録(長岡の歴史)では巻組に属し、高六二〇石二斗。安政五年(一八五八)の戸数は四一(「旧長岡城主牧野家領地七ケ組村名・反別・戸数一覧表」同書)。江戸時代を通して長岡藩領。明治八年(一八七五)の税地は田三七町五反九畝・畑二七町一反八畝・宅地八反、ほかに反高場が四反余ある。

本町村
もとまちむら

[現在地名]富岡町本岡もとおか・本町一―二丁目

富岡川流域に沿う河岸段丘とこれに続く台地上にあり、東は小良おらはま村・小浜こばま村、北西は下手岡しもておか村。浜街道から川内かわうち(現川内村)へ向かう道が分岐している。領主の変遷は小浜村と同じ。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)に富岡本町村とあり、高八五一石余。この高は手岡村の高を含んでいる。正保郷帳では田方六〇〇石余・畑方二五一石余。

本町村
もとまちむら

[現在地名]田沢湖町小松こまつ 本町

藩政期前の領主戸沢氏の居館のあった古城こじよう山の北側と、その裾を流れる院内いんない川の両岸が村域で、集落は院内川の北岸にある。東は角館城廻かくだてしろまわり村、北と西は角館東前郷かくだてひがしまえごう村と接する。

戸沢氏の家臣団の屋敷町があり、小城下町でもとは角館とよばれた。慶長八年(一六〇三)戸沢氏に代わって秋田藩主佐竹義宣の実弟蘆名義勝が当地に入ったが、元和六年(一六二〇)蘆名氏は新城下町を古城山の南に建設して移転した。その後当地を本町村・角館前町(「五井家系図」田沢湖町史神代地区編)とよぶようになった。

本町村
もとまちむら

[現在地名]佐賀市嘉瀬町かせまち大字中原なかばる

元町とも書く。文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば月見堂と田代町(南は中原村の内)の集落名が記され、長崎街道に面して街村を形成していたが、もともと郡方支配の村。

寛政元年(一七八九)幕府巡見使から「瓜や茄子其外野菜の類仕立売方いたし候か」と尋ねられた村役は、畑地が少なく自家用だけで販売までは行っておらず、街道のすぐ向うは田畑であり、一段歩当りの年貢米がおよそ七斗ぐらいだと述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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