吉田町(読み)よしだちょう

精選版 日本国語大辞典 「吉田町」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐ちょう ‥チャウ【吉田町】

東京都墨田区本所にあった町名。江戸時代は夜鷹(街娼)の巣窟として知られた。

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日本歴史地名大系 「吉田町」の解説

吉田町
よしだまち

面積:三一・八七平方キロ

弥彦やひこ山の東麓、西蒲原郡のほぼ中央にあり、東は燕市、西は弥彦村、南は分水ぶんすい町、北は岩室いわむろ村に接する。集落は西を北流する西にし川の自然堤防上と沖積平野の微高地に形成される。元和四年(一六一八)以降、多くは長岡藩領となり、中心吉田村は西川舟運の河岸場で、藩米の集積や木綿の集荷地として、また一・六の定期市場としても賑った。近世末期から近郷で農間稼として、婦女子の間に糸撚りが行われた。明治に入ると輸入綿糸を原料として発展し、明治三六年(一九〇三)には白木綿七九万六千反(二七万八千余円)に及んだ。

吉田町
よしだまち

面積:六六・六五平方キロ

郡の北部中央、秩父盆地の北部、城峰じようみね山の南西に位置する。東は皆野みなの町・秩父市、南から西にかけて小鹿野おがの町、北は児玉郡神泉かみいずみ村および群馬県多野たの万場まんば町・鬼石おにし町に接する。小鹿野町の二子ふたご山に水源をもつ吉田川が町の南部を西から東へ流れる。同川に小川おがわ女形おながた石間いさま阿熊あぐまの各谷から流れ出る川が合流し、下吉田の取方とりかた赤平あかびら川に注ぐ。

遺跡は赤平川と吉田川によって形成された南部の盆地地区と北部の山地地区に分布している。

吉田町
よしだちよう

面積:五四・七九平方キロ

県のほぼ中央部にあり、東は姶良あいら郡姶良町、西は日置郡郡山こおりやま町、南は鹿児島市、北は姶良郡蒲生かもう町。東西四キロ余・南北八キロ余で、南北に長い。南東部は牟礼むれが岡、北西部はたか峰・花尾はなお山に連なる山地、南西部は三重みえ岳を頂点とする山地を形成し、中央部は南西から北東へ向けて大原おおはらシラス台地からおもい川流域の平地へと緩傾斜をなす。平坦部二七パーセント、山間および傾斜地が七三パーセントと山がちで起伏に富む。本名ほんみよう川・本城ほんじよう川を合せて南東流する思川水系と倉谷くらたに川・牟礼谷むれだに川・宮之浦みやのうら川を合流し南流する稲荷いなり木川)水系がある。

吉田町
よしだちよう

面積:二〇・八四平方キロ

県のほぼ中央部に位置し、大井川が駿河湾に流入する河口右岸に立地する。北東は同川を隔てて志太しだ郡大井川町、北西は島田市、西は坂口谷さくちや川を境に榛原町、南東は駿河湾に面する。中央部を流れる湯日ゆい川の河口には吉田漁港があり、海岸線はくぎヶ浦とよばれる。地形的には南の住吉すみよし川尻かわしり地区は海岸砂堤列上に集落が発達し、大幡おおはた地区は大井川の元氾濫原である。片岡かたおか地区は北西から牧之原まきのはら台地の先端部が突出し、その先端南部と西部は榛原町坂部さかべ地区・細江ほそえ地区につながる広大な低湿地帯であった。

吉田町
よしだまち

[現在地名]田主丸町田主丸

田主丸村の東に位置し、日田街道(豊後中道)が通る。「筑後将士軍談」によれば麦生の内山むぎおのうちやま城が落城後、城下町をなか道沿いに移し吉田町と称したのに始まるといい、慶長(一五九六―一六一五)以前から町場をなしていたという。「旧家由緒書」は庄屋江上家の先祖が永禄三年(一五六〇)三潴みづま江上えがみ(現城島町)から当地に移り開いたという。正保四年(一六四七)の大小道之帳に吉田町とみえ、星野ほしの上小野かみおの(現星野村)から当地まで二里二五町三〇間。

吉田町
よしだちよう

面積:八四・八一平方キロ

高田郡の中央に位置し、東南に向原むかいはら、東北に甲田こうだ、北に高宮たかみや、西北に美土里みどり、西南に八千代やちよと郡内すべての町に囲まれ、南は広島市に接する。町内を可愛えの川が東北に流れ、その支流多治比たじい川が東南流して町の中心吉田で合流する。この両河川に沿って耕地と集落が開け、道路も川沿いに広島と島根県松江市をつなぐ国道五四号、県道吉田―瑞穂線が通じる。商工と農業が半ばし、高田郡の中心として行政関係の出先機関などが集中する。

明治二二年(一八八九)の町村制施行により、山部やまべなど四村が合併して丹比たんぴ村、常楽寺じようらくじなど五村が可愛村、高野こうやなど四村が郷野ごうの村、福原ふくばらなど五村が高原たかはら村となり、吉田村はそのままであった。

吉田町
よしだちよう

[現在地名]萩市大字吉田町

北東が古萩ふるはぎ町、南が侍屋敷地に続く町人町。西は古萩の侍屋敷地と下五間しもごけん町。

もと当町付近を古萩と称し、石州街道筋にあたるため古くから町並ができていたという。毛利輝元が萩入城の節、芸州から随行の者が家宅を建て繁盛したため市を設け商人を招いたので、まもなく町並が整った。城下の町割がまだできていない時に市が立ち始めた町であるとしてしん町と名付けられた。

吉田町
よしだちよう

面積:四八・二六平方キロ

北宇和郡の北西部を占める。法花津ほけづ連山の主峰高森たかもり(六三五メートル)をはじめとする山々に囲まれた町で、集落はその谷間に立地する。西部には法花津湾・吉田湾など複雑に屈曲するリアス海岸があり、宇和海が開ける。国道五六号は宇和町から法花津峠を越えて町を縦断し、南進して知永ちなが峠を越え宇和島市にはいる。県の蜜柑栽培発祥地である立間たちまを中心に産業は蜜柑栽培を主力としている。

明治二二年(一八八九)の市町村制実施のとき、吉田藩の陣屋町の大半が合体して吉田町(東小路・西小路・北小路・本町・裡町・魚棚町)が形成され、同時に立間尻たちまじり(立間尻浦・鶴間浦・浅川浦)奥南おくな(奥浦・南君浦)佐方さがた(沖村・河内村)立間村の四村が成立した(括弧内は旧村名)

吉田町
よしだちよう

[現在地名]中区丸の内まるのうち三丁目

関鍛冶せきかじ町の南、小市場こいちば町の北にある。すぎの町筋とさくらの町筋との間の一丁、および桜の町筋の東西、大津おおつ町より久屋ひさや町までをいう(金鱗九十九之塵)。慶長年中(一五九六―一六一五)清須きよすから移った当初は下小牧しもこまき町ととなえたが、慶安五年(一六五二)二月、改称。町名の由来は定かでない(尾張城南陌名由緒)。町民として刀工信高甚之丞・彫刻家毛受領介があげられる。

吉田町
よしだまち

[現在地名]姫路市吉田町

姫路城の西、景福寺けいふくじ山の南に位置する町人町。龍野たつの町一―二丁目の北にある東西の町筋。町名の由来は、池田輝政が三河国吉田(現愛知県豊橋市)から入部した際に同地からの移住者が居住した地(大正八年刊「姫路市史」)とか、姫路城下形成にあたり永く旧領を忘れないために町名として残したという説がある。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に町名がみえる。姫路町書上帳、元文五年(一七四〇)の姫路町飾万津町地子銀控によれば家数五〇・地子銀四一一匁余。

吉田町
よしだまち

[現在地名]吉田村吉田町

吉田村のほぼ中央、吉田川と大吉田おおよしだ川の合流点一帯に位置する。慶長一三年(一六〇八)吉田村から町分を独立させて吉田町とし、明治八年(一八七五)地租改正に際し地盤は吉田村に属し、その後町の名称を維持するのみであったという(郡村誌)。出雲御三家の筆頭鉄師田部家の居宅のある所で、田部家を中心にして町並ができた。田部家の祖は紀州熊野庄田辺氏の流れと伝え、文永年中(一二六四―七五)吉田村に移住し、寛正元年(一四六〇)本格的な鑪製鉄を創業。戦国期には備後の山内周藤氏の家臣として合戦に従事し、天正九年(一五八一)頃から製鉄業を専業とした。大正一二年(一九二三)頃まで続き、それ以降は木炭業に転業した(田部家文書)

吉田町
よしだまち

[現在地名]中区吉田町

大岡おおか川と派大岡はおおか(中村川)の合流点の南にある。安政六年(一八五九)吉田新田よしだしんでん村の北端の堤塘に幅三間の新開された横浜道沿いに野毛のげ橋から吉田橋にかけてつくられた町(大日本維新史料稿本)。新道開通前は一面の田圃に農家が点在するだけであったが、野毛に神奈川奉行所・奉行所役宅が建設されると新道の往来は頻繁となり、沿道に商家が建つようになった。

吉田町
よしだまち

[現在地名]西区立売堀いたちぼり四―五丁目

薩摩堀納屋さつまぼりなや町の南側、立売堀北側たちうりぼりきたがわ四丁目の北に東西に延びる小さな両側町。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図には西国さいごくひがし丁と記され、のち改称して(初発言上候帳面写)、元禄期(一六八八―一七〇四)以後の絵図では吉田町となっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田町」の意味・わかりやすい解説

吉田〔町〕
よしだ

静岡県中部,大井川河口右岸にある町。 1949年町制。駿河湾にのぞみ,大部分は大井川三角州上にあり,養鰻業が発達。中心集落の住吉を中心に,機械などの工場が進出している。能満寺のソテツは天然記念物。町域の一部は御前崎遠州灘県立自然公園に属する。国道 150号線が通じ,北部に東名高速道路インターチェンジがある。面積 20.73km2。人口 2万8919(2020)。

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防府市歴史用語集 「吉田町」の解説

吉田町

 広島市から北東に約45?に位置する町で、戦国武将の毛利元就[もうりもとなり]が本拠地である郡山城[こおりやまじょう]を築いたところです。郡山城跡が、国の史跡に指定されている他、毛利家に関する様々な文化財を今日に伝えています。防府市とは、元就が亡くなってちょうど400年後の1971年(昭和46年)に姉妹都市となりました。

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