木舟村(読み)きぶねむら

日本歴史地名大系 「木舟村」の解説

木舟村
きぶねむら

[現在地名]福岡町木舟

本領八百ほんりようはつぴやく村の南、唐俣とうまた右岸の平坦地に立地。北西部に柳川やなぎかわ村の飛地三ヵ所がある。旧北陸街道(中田道)が南部を東西に通る。この街道の南方に木舟城跡があり、戦国期には城下町が形成されていたと推定されるが、天正一三年(一五八五)の地震で崩壊し、翌年城主前田利秀が居城今石動いまいするぎ(現小矢部市)に移したため城下寺院町人なども移転し、農村集落となった。元和五年(一六一九)の家高新帳に木舟村とみえ役家数一〇、道明寺村組に属した。正保郷帳では高三一五石余、田方二〇町四反余・畑方六反。寛文三年(一六六三)の川西家高付帳(川合家文書)では役家数一〇。同一〇年の村御印では草高三四六石、免五ツ一歩、小物成は猟船櫂役五匁(三箇国高物成帳)

木舟村
きぶねむら

[現在地名]宮崎町木舟

川の右岸にあり、東は鳥嶋とりしま村・鳥屋とりやさき村、南は小泉こいずみ村、西は小野田おのだ本郷はら(現小野田町)、北は谷地森やちもり村に接する。村名の由来は、往古山城国貴布禰神社を勧請すると同時に村も移したためと伝え、文字を改めた年代は不明という(安永風土記)。正保郷帳に木船村と記され、田二二貫七二九文・畑二貫九四二文とある。「安永風土記」によれば、田二五貫七一九文・畑三貫二一四文で、蔵入は一〇貫六八二文、給所は一八貫二五一文、人頭一六人(うち沽却禿二)、家数一四、男四一・女三四、馬一五で、神社は村鎮守の貴舟社で、阿弥陀堂と虚空蔵堂があり、用水として五ヵ村入会の田川堰(当村分溜高一〇貫四〇六文)、小泉堰(一一貫五六二文)、田川小泉堰(四六文)、小瀬堰(二貫九四四文)を利用している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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