木瀬川村(読み)きせがわむら

日本歴史地名大系 「木瀬川村」の解説

木瀬川村
きせがわむら

[現在地名]沼津市大岡おおおか

下石田しもいしだ村の東、黄瀬きせ川の下流右岸、同川と狩野かの川の合流点西側に位置し、北は中石田村。村内を東海道東西に通り、往還長四町四四間のうち、四町一九間ほどは家並、残りは並木であった。当村と黄瀬川対岸東方の長沢ながさわ(現清水町)との間に黄瀬川きせがわ橋が架かっていた(宿村大概帳)中世には東海道の黄瀬川宿として賑わった。寛永九年(一六三二)の徳川忠長改易後は幕府領であったが(国立史料館本元禄郷帳)、宝永年間(一七〇四―一一)頃から一部が相模国荻野山中藩領となり、以後同藩領と幕府領の相給で幕末に至る(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報