木之本村(読み)きのもとむら

日本歴史地名大系 「木之本村」の解説

木之本村
きのもとむら

[現在地名]木之本町木之本・広瀬ひろせ

湖北平野の北縁、田上たがみ(田神山)南麓の小規模な扇状地に立地。北東部から南流するあか(余呉川支流)は南部で右折し西流する。木之本地蔵で知られる時宗浄信じようしん寺の門前町として発展、門前北国街道が南北に通り、南部で北国脇往還が南へ分岐し、宿駅が置かれた。室町時代末期頃から北陸から中部地方にわたる広範囲の牛馬市も開かれた。浄信寺縁起(浄信寺蔵)によれば、天武天皇三年(六七四)祚蓮が当地柳の大木の下に、難波浦に漂着した龍樹菩薩作の地蔵菩薩安置、当地を「やなきのもと」とよんだが、のち「きのもと」と略称したという。天正一一年(一五八三)賤ヶ岳の戦では、羽柴秀吉は浄信寺広場に着陣、田上山には羽柴秀長の陣が置かれ(賤嶽合戦記)、その陣跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報