春近村(読み)はるちかむら

日本歴史地名大系 「春近村」の解説

春近村
はるちかむら

[現在地名]糸貫町春近

石原いしはら村の東に位置し、緩傾扇状地平野に立地。中世の国衙領春近(名)の遺称地。天正年間(一五七三―九二)から当村現地代官を勤めた井上氏は、文禄四年(一五九五)から古田氏に代わった石河光吉の下でも下代官を勤め(年欠三月二二日「石河光吉春近村規定」安藤鉦司氏所蔵文書)、光吉に小物成として春近枝柿四一〇個を上納している(慶長三年「石川光吉請取手形」同文書)

春近村
はるちかむら

[現在地名]長浜市春近町

東上坂ひがしこうざか村・西上坂村の南に位置し、東は保多ほだ村・堀部ほりべ村。古くはハリチカとよばれたとみられる。延慶二年(一三〇九)三月二〇日の僧定祐観音寺如妙法経田寄進状(大原観音寺文書)によると、大原おおはら観音寺(現坂田郡山東町)に寄進された上坂郷内の田地一反半は「春近伏田廿五丁神田領」のうちとされる。康永三年(一三四四)二月日の沙弥蓮覚田地売券(同文書)によって同郷内の地が伊福貴いぶき(現坂田郡伊吹町の伊夫岐神社)に売却されるが、端裏書に「はりちかの乃□り大たのもんやう」と記される。応永一六年(一四〇九)一一月二四日、春近内知行分が幕府から山城石清水いわしみず八幡宮に寄進されているが(同二一年九月六日「細川満元施行状」石清水文書)、嘉吉三年(一四四三)五月二五日には佐々木堀部熊千代が地頭職をもつ春近内の名主・沙汰人ならびに百姓等に対し、京都相国しようこく寺領であると称して同寺や隣郷をたのんで狼藉逃散をすることを禁止した室町幕府奉行人奉書が出された(「建内記」同年六月八日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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