明観寺跡(読み)みようかんじあと

日本歴史地名大系 「明観寺跡」の解説

明観寺跡
みようかんじあと

[現在地名]都城市吉之元町 不動堂

眼前に赤く焼けた霧島噴火壁の荒々しい山肌が迫ってくる標高約四〇〇メートルの地点にあった。霧島から高原たかはるへ通る国道二二三号が西側を抜け、千足せだらし川が当寺南方を南東へ流れる。地元の伝承では初め御鉢おはち直下にあったとし、そこをモトフズ(元不動堂の意味か)とよんでおり、古い卵頭形の石塔が残っている。天台宗南泉なんぜん(現鹿児島市)末寺で、霧島山金剛院と号し、本尊は高さ六尺五寸の不動明王黒仏坐像。応和三年(九六三)性空の開基とされ、同時に建立された荒嶽あらたけ権現社とともに霧島山南門といわれた。世々天台宗であったが、いつの頃からか真言系修験宗徒の住職となり荒廃したため、正徳年間(一七一一―一六)官府命により再興され、僧智空を住持とし今の院号に改めたという(三国名勝図会)。万延元年(一八六〇)寺院由緒調控(都城島津家文書)では、不動明王・脇侍二童子の三体は西霧島山華林けりん(現鹿児島県霧島町)中興の憲慶の彫刻、ほかに性空作の秘仏とされる木造十一面観音坐像や仁王両体の立像が安置され、境内には供養石塔一基があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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