日本歴史地名大系 「新井城跡」の解説
新井城跡
あらいじようあと
「北条記」によれば、明応三年(一四九四)三浦時高と養子義同(道寸)が対立し、時高が籠った「新井の城」に義同が押寄せ、合戦に勝って三浦氏の主となった義同はその後子の義意を当城に置いた。永正九年(一五一二)から同一三年にかけて北条早雲が攻城し、兵粮つきた義同・義意父子は討死(北条五代記)、三浦氏は滅亡した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「北条記」によれば、明応三年(一四九四)三浦時高と養子義同(道寸)が対立し、時高が籠った「新井の城」に義同が押寄せ、合戦に勝って三浦氏の主となった義同はその後子の義意を当城に置いた。永正九年(一五一二)から同一三年にかけて北条早雲が攻城し、兵粮つきた義同・義意父子は討死(北条五代記)、三浦氏は滅亡した。
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