斉白石(さいはくせき)(読み)さいはくせき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「斉白石(さいはくせき)」の意味・わかりやすい解説

斉白石(さいはくせき)
さいはくせき
(1863―1957)

中国、清(しん)末から現代の文人画家、篆刻(てんこく)家。名は璜(こう)、白石は号。別に瀕生、寄園、木居士などと号した。湖南省湘潭(しょうたん)県の人。貧農の家に生まれる。16歳のとき指物(さしもの)師の徒弟に入り、絵画に関心をもち、20歳ころから独力で画(え)を学び、26歳で肖像画家蕭薌陔(しょうきょうがい)に学び、画が売れるようになる。30歳代で詩文、篆刻に励み、詩人王闔運(おうかいうん)の門人となる。40歳を過ぎて初めて湘潭を出て、中国各地を五度遊歴して名士名画に接し、57歳で郷里の兵乱を避けて北京(ペキン)に居を定め、売画生活を送る。画風徐渭(じょい)、石濤(せきとう)、八大山人、呉昌碩(ごしょうせき)の系統を受け継ぎ、紅花墨葉の一体を創始した。1922年(大正11)60歳のおり日本で行われた日中連合絵画展に出品し、海外にその名が知られる。一時北京の美術学校教授となったが、日中戦争中は抵抗の意を示し、革命後の53年(89歳)人民芸術家として表彰され、中国美術家協会主席となり、非常な尊敬を受けている。画は蛙(かえる)や蝦(えび)などの小品を得意とし、洋画感化を受けず、中国の水墨淡彩画伝統を固守した。75歳のときより、つねに2歳を加算し、95歳で没するが、自作には97歳と題している。

[星山晋也]

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