捨て子(読み)すてご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「捨て子」の意味・わかりやすい解説

捨て子
すてご

扶養の義務をもつ親が嬰児(えいじ)を捨てる行為、また捨てられた子をいう場合と、呪術(じゅじゅつ)的に子を捨てるまねをする習俗との2種類がある。前者については刑法遺棄罪にあたる違法行為であるが、堕胎、間引きなどの子殺しとは違い、親権を放棄して第三者に養育されることを期待するものである。近世と現代を比較しながら、その背景を明らかにする必要がある。現代は児童憲章や児童福祉法によって幼児人権は法的に守られている。

[井之口章次]

文化史的にみた捨て子

いつの時代にも捨て子は不道徳とみなされ、しばしば禁令が出されている。逆にいうとそれだけ捨て子が多かったということで、近世の随筆浪花(なにわ)の風』(久須美蘭林(くすみらんりん)著、1856)にも、少なくとも月に4、5人、多いときは20人余に及ぶと記されている。産児調節が進まず、また幼児の死亡率の高かった時代には、幼児の人権は相対的に軽視されていたとみるべきである。捨て子の原因は貧困と不義の子を産んだ場合などであるが、厳しい階級社会のなかでは、差別に苦しんだ親が、上の階層に拾われることを期待した例もあった。村落共同体のなかでは、親の子供であると同時に村の子供であったから、ゆとりのある人が他人の子を養育する例は多かったし、貧困な農村や漁村では、将来の労働力として貰(もら)い子をすることが明治・大正ごろまで珍しくなかった。したがって捨て子は、親族や村落共同体の援助を期待できず、または親の姓名を明らかにできない事情のあるとき、富豪の門前や寺院の境内に捨てるものが多かった。衣類をそろえたり、置き手紙を添える例もあった。

 呪術的な捨て子は、以上とはまったく異なる。子供が病弱であったり、親の厄年に生まれた子であったり、生児が次々に死亡するようなとき、子供の将来を案じて、いったん捨てる形をとるものである。災厄をもって生まれた子を捨てることによって、人為的に生命の更新を図ろうとするのが元の趣旨であった。実際にはあらかじめ拾ってくれる人を頼んでおき、箕(み)などに入れた赤子を捨てて拾われるのを確認してから、改めて戻してもらうのであり、捨て子と拾い主との間には仮の親子関係を結ぶのが一般である。拾い親に頼む人は、じょうぶに子を育てた人や神主、僧侶(そうりょ)のほか、よそからくる行商人などに頼む例もある。拾い親にはその場でお礼をするほか、成人するまでとか、生涯とか、親方・子方の関係を続ける場合がある。呪術的な捨て子が社会的な親子関係に結び付いたものである。捨て子には捨吉、捨松などと命名することが多い。幼児の捨て子ではないが、成人した男女が結婚しようとするとき、家格がつり合わないとか一方に病気の血統があるとかで親類に反対があると、他人に拾ってもらう形をとることがある。社会的な体面を取り繕うための擬制ではあるが、呪術的な捨て子の観念に基づくものである。

[井之口章次]

社会問題としての捨て子

明治時代には全国で年間5000人以上も数えられたのが、大正、昭和と激減して、昭和の初期には600~700人となっており、昭和50年代は200~300人程度になった。捨て子の理由は、昔は多産と生活難がほとんどであったが、今日は「未婚の母」の養育難がほとんどである。捨て子の場所は、昔も今も人の目につきやすいところで、病院や乳児院などの入口、駅、公園、デパートが多い。

[大橋 薫]

法制上の捨て子

捨て子(棄児)を発見した者、または捨て子発見の申告を受けた警察官は、24時間以内にその旨を市町村長に申し出なければならない。市町村長は、これに氏名をつけ、本籍を定め、付属品、発見の場所・日時などについて調書をつくらなければならない(戸籍法57条)。あとで父または母が捨て子を引き取ったときは改めて出生届をして、戸籍の訂正を申請しなければならない(同法59条)。

 捨て子は、児童福祉法によって、乳児院または児童養護施設に収容して、そこで養育する。この場合、親権者が現れるまでは、その施設の長が親権を代行する。なお、刑法上、捨て子をする行為は保護責任者遺棄罪にあたる(刑法218条)。

[高橋康之]

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