成願寺村(読み)じようがんじむら

日本歴史地名大系 「成願寺村」の解説

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]丹後町成願寺

東北は是安こりやす村、南は現弥栄やさか町と境し、西は開けて竹野川沿いの田圃に面する。

村名は成願寺に由来し、同寺の寺記(「竹野郡誌」所引)は「大古者本田村成願寺也、中古村名用字号」と、もと「本田村」と称したと伝える。

地名成願寺は中世末の丹後国御檀家帳にみえるのが早い。

<資料は省略されています>

これによれば当地に禅居ぜんご寺があったことがわかるが、丹後国田数帳によれば禅居寺は丹波郡三重みえ(現中郡大宮町)に一町七段二九〇歩、同友安ともやす保に一町、同富永とみなが保に一町九段一八〇歩、竹野郡武元たけもと保に三段の寺領を有している。かなりの大寺であったらしいことがうかがえるが、天和二年(一六八二)丹後国寺社帳に名がみえないので、それ以前に廃絶したものであろう。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]北川村しま

二又ふたまた村の北西奈半利なはり川が蛇行して東流する付近の両岸に集落があり、南西には高善森こうぜんもりがそびえる。北川村の枝村。北東山麓にある成願寺を中心に発達した村であるが、平家の残党志摩主殿守なる者が三人の兄弟とともにこの地を開拓したと伝え、馬場の跡と伝える地が残る。「蠧簡集拾遺」所収の応永八年(一四〇一)の成願寺般若経筥銘に「安喜郡奈半利郷庄北山成願寺」とあり、応永年間頃は北川郷一帯も奈半なは庄内であったらしい。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]北区成願寺・成願寺町・川かわなか町・安井やすいこめ

中切なかぎり村の東にある。織田信雄分限帳に、「(二)百五拾貫文 あしきの内 成願寺 お亀」とある。村名は成願寺の寺号に由来。寛文一一年(一六七一)の家数一八、人数一一六(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田二四町七反七畝余・畑二二町八反余。概高五六七石余のうち二二八石余が藩士四人の給知。

「尾張国地名考」に「しやう 願寺くわんじ願の字を清音に呼 支村一 米ケ瀬よねがせ」とある。成願寺を「じょうかんじ」といったのは、もと「常観寺」と書いた時の名残である。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]坂戸市成願寺

善能寺ぜんのうじ村の南東にあり、東は大塚おおつか村、南西はかけうえ村。北をくず川が北東流する。村名は成願寺があることに由来する。田園簿では高六〇石で皆畑、旗本三浦領。国立史料館本元禄郷帳では旗本高林領。延享三年(一七四六)から天保三年(一八三二)まで三卿の田安領(「田安領知村高記」葛生家文書など)。その後幕府領に復し(改革組合取調書)、幕末には川越藩領(旧高旧領取調帳など)。検地は延宝五年(一六七七)高林氏により行われた。化政期の家数二五。正保(一六四四―四八)頃当村寄りを流れていた高麗こま川には中河原という中瀬があり、幅三〇間ほどの歩行渡となっていたという(風土記稿)

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]八日市市小脇町おわきちよう

宿しゆく村の北、わき村の北東部にあり、赤神あかがみ(太郎坊山)山麓にある天台宗成願寺の門前集落を中心とした村。慶長七年(一六〇二)の小脇郷六ヵ村の検地帳(小脇郷共有文書)から当村分を抜書きした検地帳写(太郎坊共有文書)では田一三町七反余・畑一町一反余・屋敷三反余。寛永石高帳では二四四石。享保三年(一七一八)惣山の割山書留(今宿文書)には成願寺村として二五人が署名していることから、近世の家数はおおむね二五軒程度であったと推測される。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]福井市成願寺町

吉野よしのヶ岳南西麓、荒木新保あらきしんぼ村の東方にある。福井藩領。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高二五九・六六石。正保郷帳によると田方二三二石余・畠方二六石余。枝村の桜谷さくらだにから登り詰めた山頂近くに波着はじやく寺跡があり、さらに東方三〇〇メートルの所にいけ旧居跡がある。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]三方町成願寺

倉見くらみ村の北に位置し、丹後街道が通る。地名は当地にあった真言宗成願寺からきている。中世は倉見庄に属し、永仁四年(一二九六)二月日付倉見庄実検田目録(大音家文書)に記される成願寺領七反余は、当地にあったものと思われる。寺領は供僧田四反・彼岸田二六〇歩・公文儲田二四〇歩などに分れていた。当村は倉見村から分村したと伝えるが、正保郷帳では一村として高付され、田方一〇七石余・畠方六一石余。

成願寺村
じようがんじむら

[現在地名]天理市成願寺町

大和おおやまと神社前方、かみ街道の街村。東南中山なかやま村との天正八年(一五八〇)の水論を解決した「中山村と問答書」(成願寺区有文書)が残る。慶長郷帳には「城願寺村」とあり、村高三三七・四六石。慶長五年(一六〇〇)織田有楽斎領、元和元年(一六一五)以降柳本藩(織田尚長)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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