成福寺
じようふくじ
[現在地名]福井市波寄町
仏国山と号する。真宗大谷派であったが、現在は単立。本尊阿弥陀如来。寺伝は開祖を興行寺(現福井県上志比村)の開祖周覚とし、古くは大谷村にあって西の坊と称したというから、興行寺掛所として創建されたものか。永禄年間(一五五八―七〇)六代乗誓の時、坂南郡藤瀬村に寺基を移したといい、天正一九年(一五九一)の本覚寺末寺帳(本願寺文書)に「フジセノ乗西」とあるのが当寺で、その頃は和田本覚寺末の道場であったという。
成福寺
じようふくじ
[現在地名]鎌倉市小袋谷二丁目
横須賀線線路の近く、八反目にある。浄土真宗本願寺派。亀甲山法得院と号する。開山成仏、本尊阿弥陀如来。寺伝によると貞永元年(一二三二)の創建。縁起「末代鏡」によれば開山成仏は北条泰時の末男泰次で、初め天台僧、のち親鸞に帰依して浄土真宗に改めたといい、「風土記稿」によれば九世宗全の時、小田原北条氏の迫害を避けて伊豆国北条(現静岡県田方郡韮山町)に移り、慶長一七年(一六一二)一一世西休の時に復したという。
成福寺
じようふくじ
[現在地名]都祁村大字吐山小字ミロク
吐山の西方、立割山(六九七メートル)の南中腹にあり、金平山と称する真言宗豊山派の寺院であったが、現在は堂のみ残り無住。本尊薬師如来は平安後期の作。寺伝によると、旧地の小字金平に聖徳太子が倶盧孫坊という一寺を建立したことに始まり、応仁(一四六七―六九)頃の兵火で焼失、のち現在地に堂宇を建立し、旧寺名を用いた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報