法隆寺村(読み)ほうりゆうじむら

日本歴史地名大系 「法隆寺村」の解説

法隆寺村
ほうりゆうじむら

[現在地名]斑鳩町大字法隆寺

矢田やた丘陵南麓の村。「大和志」によると、法隆寺村は町名一四、属邑四とある。

法隆寺の西にあたる西里にしさとからは縄文中期の土器石器が出土した。村域内には出土品に特色のあるふじ古墳仏塚ほとけづか古墳などがある。河内難波なにわへの交通の要地にあり、聖徳太子の斑鳩宮を中心とする斑鳩の里には斑鳩寺(若草伽藍)鵤尼いかるがにん(中宮寺)などが創建された。斑鳩宮・斑鳩寺は現行の条里制施行以前、現法隆寺伽藍は条里制施行直前の地割によって建立されたことは、それらの伽藍が現行条里とは異なった方位を示している点から認められる。「和名抄平群へぐり郡の夜麻やま郷の地に含まれ、平安後期には「寺内南倉町」(「法隆寺政所宛行状」吉田文書)、「西里」(法隆寺別当次第)などの名があらわれ、中世的な門前町を形成していったとみられる。村域内には法隆寺荘園の鵤庄があったと考えられるが、史料のうえでは位置や範囲は不明である。

久安三年(一一四七)に法隆寺南大門前の路幅を二丈四尺、横路(竜田道)の幅を一丈二尺とし、寛元三年(一二四五)に横路から竜田たつた馬場までの直行する路を一丈二尺と定めるなど、法隆寺と竜田(現大字竜田)とを結ぶ道の拡張工事が進められた(嘉元記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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