慶徳村(読み)けいとくむら

日本歴史地名大系 「慶徳村」の解説

慶徳村
けいとくむら

[現在地名]喜多方市慶徳町けいとくまち豊岡とよおか

松野まつの村の南西に位置し、東は堀出ほりいで新田村、南は新宮しんぐう村。天文一二年(一五四三)新宮熊野社(現熊野神社)の大祭で行われた田楽相撲の記録を同一四年一月吉日に書写した相撲田楽日記(新宮雑葉記)の取組第一二番・一三番に「経徳」とみえ、当村も同田楽相撲へ参加していた。村のほぼ中央に蘆名氏の重臣慶徳善五郎が住したという慶徳城跡がある。善五郎は蘆名四天の宿老の一人平田是亦斎の子で、天正一三年(一五八五)五月伊達政宗の兵が北方きたかたに乱入した際、これを防いだという(新編会津風土記)。「伊達天正日記」同一七年六月六日条に「夜入、金川三橋塩川・けいとく、いつれも引申候」とあり、前日磨上原の合戦で蘆名義広を破った政宗は当地にも兵を出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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