御崎村(読み)みさきむら

日本歴史地名大系 「御崎村」の解説

御崎村
みさきむら

[現在地名]中山町御崎

金屋かなや村の北西にあり、北は日本海に臨む。海岸は絶壁となっている。村名の由来について、文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)に「此所伯州第一之出崎にて、産神日御崎大神宮御鎮座御座候故を以、御崎鼻と唱候由。右ニ付村名等も則御崎村申候由」とある。八橋やばせ郡に属し、拝領高一二八石余、本免四ツ。太田氏の給地(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付では生高二一五石余、竈数四三。

御崎村
みさきむら

[現在地名]兵庫区御崎本町みさきほんまち一丁目・上庄通かみしようどおり一―三丁目・和田宮通わだみやどおり三―七丁目・笠松通かさまつどおり七―九丁目・材木町ざいもくちよう浜中町はまなかちよう一―二丁目・御崎村

兵庫津の南西に接し、和田岬に近い沖積地に位置する。近世和田山とよばれた松林地に近く、慶長国絵図の高九五石余で幕末まで同高。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳には畠山二郎四郎知行地とみえ、幕末まで高家政信系畠山(のち足利と改姓)(兵庫史学)

御崎村
みさきむら

[現在地名]串間市大納おおのう

都井とい岬を村域とする。江戸時代には都井郷に属した。日向国覚書に村名がみえ、高三石余。「遠見番所在」の注記がある。寛文四年(一六六四)の高鍋藩領地覚(隈江家記)、正徳元年(一七一一)の高鍋藩領郷村高辻帳(石井家文書)でも同高。藤原惺窩の「南航日記残簡」文禄五年(一五九六)七月一〇日条に「ミサキノ牧」がみえ、この牧を母胎にのち高鍋藩営の牧、都井御崎牧が営まれた。高鍋藩人給帳によると寛永一五年(一六三八)都井牧別当掃部に三石の知行が与えられており、同人給帳の寛文一三年改では番人一名が置かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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