御崎神社(読み)おさきじんじや

日本歴史地名大系 「御崎神社」の解説

御崎神社
おさきじんじや

[現在地名]唐桑町 崎浜

唐桑半島突端の老松巨杉の茂り合う森の中にあり、南東は断崖で眼下に太平洋が開け、常に怒濤が巨岩奇礁を洗う。祭神は大海津神・日本武尊・素盞嗚尊で、旧郷社。神霊と崇める鉄鏡二面があり、一面は後醍醐天皇が北条高時を誅滅した時に寄進したと伝える。久安四年(一一四八)紀州熊野権現の分霊を唐桑村津本つもとに勧請したのが始まりと伝え、現在津本にある地主じぬし神社がその時の名残とされる。当時御崎には延喜式内社の桃生ものう郡六座の名神大社計仙麻大島けせまおおしま神社があったとされ、ここに延慶三年(一三一〇)に遷座合祀した。次いで正慶元年(一三三二)紀州熊野本宮尾崎坊より神鏡を勧請、以来尾崎おさき明神あるいは計仙麻大島神社正一位御崎大明神と称したという(唐桑町史)。その時社殿は唐桑きた城主阿部休信が建立した(奥州仙台御崎宮略縁起「唐桑町史」所収、「観蹟聞老志」)。しかし計仙麻大島神社は一般に気仙沼けせんぬま市大島の大島神社にあたるとされ、そのほかにも諸説があり、いずれも確たる立証はない。正一位大明神末社旧跡棟札書上覚(「唐桑町史」所収)では、この地方は往古桃生郡に所属したと説明したうえで、「御崎大明神、計仙麻大嶋神社ト云、唐桑元来気仙沼ノ内也。南ノ海中ヘ成出ル、故ニ嶋ノ如シ、此故ニ計仙麻大嶋ノ神社ト云フ」と理由づけしている。

御崎神社
みさきじんじや

[現在地名]佐多町馬籠

佐多岬の突端に鎮座する。祭神は底津少童命・中津少童命・表津少童命。旧郷社。伝承によると、伊邪那岐命が日向国より大隅国南端佐多岬へ降臨、岬先端の大輪おおわ島のおほごの瀬で禊を行い、御子命に大八州の守護を命じたという。かつては御崎権現(三州御治世要覧)、御崎三所権現・御崎六所権現(三国名勝図会)などと称された。和銅元年(七〇八)浜宮として創建され、慶長一四年(一六〇九)島津氏による琉球出兵の際に総大将樺山久高が祈願を行って渡海、帰国後に琉球鎮護のため現在地に再建された。そのため社殿が南へ向けられていると伝える(以上同書・「佐多町誌」)

御崎神社
みさきじんじや

[現在地名]美浜町和田

西にし山南東麓に鎮座。祭神は天照あまてらす大神・猿田彦さるたひこ大神・事代主ことしろぬし神・豊玉彦とよたまひこ大神。旧郷社。「三代実録」貞観一七年(八七五)一〇月一〇日条に「紀伊国正六位上三前神」とみえ、「紀伊国神名帳」には「日高郡正三位御崎神」とある。「続風土記」に「小名本脇にあり、社地山を負ひ海に臨めり、和田浦一村の産土神なり(中略)当社旧は宮の谷といふ所にありしを後に此に遷すといふ(中略)古は社殿も壮麗にて神田二町二反ありしといふ」とみえる。現在地への遷祀は貞観元年と伝え、旧地みやたには現社地の背後にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「御崎神社」の解説

御崎神社

(宮崎県串間市大納御崎・都井岬)
宮崎観光遺産」指定の地域遺産。
708(和銅元)年の創建と伝えられる。都井岬の最突端、断崖絶壁の中腹にあり、参道にはソテツなどの亜熱帯植物が生い茂る。ワダツミノカミを祀り、海の神、航海の安全の神として信仰されている

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

デジタル大辞泉プラス 「御崎神社」の解説

御崎神社

宮城県気仙沼市にある神社。「おさきじんじゃ」と読む。創祀不明。祭神は大海津見大神(おおわたつみのおおかみ)。大漁祈願、縁結びなどの神として知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「御崎神社」の解説

御崎神社

(宮城県気仙沼市)
ふるさとみやぎ文化百選 建造物とまちなみ編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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