得良郷(読み)とくらごう

日本歴史地名大系 「得良郷」の解説

得良郷
とくらごう

上徳良かみとくらと下徳良を主要郷域とする。当郷にかかわる記録の大半は尾道市の浄土じようど寺に蔵される。以下、浄土寺文書によると、建武三年(一三三六)二月一八日付の足利尊氏寄進状に、「寄進 備後国浄土寺 同国得良郷地頭職事」とあり、尊氏が九州へ赴く途次、得良郷地頭職を寺領として浄土寺に寄進している。暦応二年(一三三九)一〇月二八日の左衛門尉書下には、鞆浦とものうら釈迦堂(現福山市の安国寺)院主法智代小河正徳房以下が得良郷の所務を濫妨とあり、同四年七月二二日の守護方使者源兼継打渡状では、於曾六郎兵衛尉・和気弥七らの濫妨を停止し、得良郷地頭職を浄土寺雑掌の沙汰としている。また観応二年(一三五一)六月二九日の椙原光房奉書には鞆浦小松こまつ寺雑掌賢性が得良郷地頭職を違乱しているとあり、浄土寺へ寄進される以前、得良郷には鞆浦地方の勢力が入込んでいたとも考えられる。

文和二年(一三五三)一〇月一三日、得良郷地頭職などに対する軍勢の違妨が停止されたが(岩松頼宥安堵状)、翌三年七月五日には得良郷は要害の地であるとして、地頭職は山内通氏に料所として預けられ、年貢などは先例により浄土寺へ納めることとされた(岩松頼宥預ケ状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android