引間(読み)ひくま

日本歴史地名大系 「引間」の解説

引間
ひくま

馬込まごめ川右岸、現浜松市街地一帯にあたる。引馬・曳馬・疋馬などとも書く。浜松の地名前身で宿・市の場として繁栄した。享徳二年(一四五三)七月日の綿瀬道秀申状(東大寺文書)に「はま松の庄引間」とみえるように浜松庄に属し、戦国期には浜松庄とほぼ同地域を引馬領とも称した。「万葉集」巻一に長忌寸奥麿の歌として「引馬野ににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに」があり、当地に比定する説もある。「吾妻鏡」建長四年(一二五二)三月二五日条に「昼引間、夜池田」とあり、この日将軍として鎌倉に下向する宗尊親王が当地を通っている。また鎌倉に訴訟のため下向した阿仏尼は、「十六夜日記」に弘安二年(一二七九)一〇月二二日に「今宵は引間の宿といふ所にとゞまる」とあるように、当地に宿泊している。続けて「此所の大方の名は、浜松とぞ言ひし。親しといひしばかりの人々なども、住む所なり」と記しており、当地一帯は浜松ともよばれ、阿仏尼の親しい人々が居住していた。弘安の頃、高階宗成が東海道の宿々を長歌に詠込んだなかに「ひきまなる」とみえる(遺塵集)。これらから当地が宿としての機能を備えて賑わっていたことが知られる。

建武三年(一三三六)九月日の仁木義長軍忠状写(古文書集)によれば、仁木義長の亡父義高が新田左馬助らと同月一三日に当地や天竜川端で合戦し、討死している。

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百科事典マイペディア 「引間」の意味・わかりやすい解説

引間【ひくま】

遠江国にあった中世の地名。引馬・曳馬などとも書く。現在の静岡県浜松市の市街付近に比定される。《万葉集》に〈引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに〉と詠まれている〈引馬野〉は,遠江国あるいは三河国に比定する二つの説がある。東海道宿駅として知られた。《吾妻鏡》建長4年(1252年)3月25日条によれば,宗尊(むねたか)親王が鎌倉下向の途中に〈引間〉を通過している。《十六夜(いざよい)日記》建治3年(1277年)10月22日条に〈引馬の宿〉が登場するが,〈此所の大方の名は,浜松とぞ言ひし〉と記されており,この地には平安末期から浜松荘が存在していた。交通の要衝であるとともに,浜松荘の経済の中心でもあり,1456年の徳政一揆では蒲御厨(かばのみくりや)(現浜松市)の農民が引間市の土倉(どそう)を襲撃している。室町期には三河吉良(きら)氏の被官(ひかん)巨海(おおみ)氏が引間城築城したといわれる。1517年今川氏親(うじちか)が引間城を攻め,かつての遠江国守護斯波氏吉良氏の勢力を一掃,この地を遠江国の領国経営の拠点とした。今川氏の没落後,1570年に徳川家康浜松城を築いて三河国岡崎城(現愛知県岡崎市)から移り,この頃から浜松の地名が一般化し,引間の呼称はしだいにみられなくなっていった。

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改訂新版 世界大百科事典 「引間」の意味・わかりやすい解説

引間 (ひくま)

遠江国(静岡県)の古代,中世の宿駅。引馬,曳馬,疋馬などとも書く。その名は古代からみられると考えられるが,いまだ確証をえない。《吾妻鏡》の建長4年(1252)3月25日の条に〈昼引間,夜池田〉と見え,また《十六夜(いざよい)日記》にも引間宿に泊まるとあり,中世の紀行文などにはしばしば現れる。東海道交通の要地であるばかりでなく,浜松荘の荘園市場にはじまり,遠江の商業・流通の中心地として,とくに室町期には市も発達した。1456年(康正2)には徳政一揆が起こり,蒲御厨(かばのみくりや)の農民たちが引間市の土倉を襲撃した。また室町期に遠江守護斯波氏の被官大河内氏が引間城を築いたといわれているが,やがて1517年(永正14)に今川氏親が引間城を攻め,斯波氏の勢力を一掃して遠江を平定し,領国経営の拠点とした。70年(元亀1)に徳川家康が居城を岡崎から引間に移し,これを浜松と改称して以後,引間の名称は見られなくなった。
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世界大百科事典(旧版)内の引間の言及

【蒲御厨】より

…15世紀中ごろ,守護斯波氏の被官応嶋氏や三河の吉良氏被官大河内氏などが代官として入部し,蒲御厨の諸公文百姓等をひきよせて勢力を争った。蒲御厨は浜松荘引間(ひくま)市に近く,1456年(康正2)には蒲御厨百姓等が徳政一揆をおこして,引間市の土倉を襲撃したこともあった。戦国時代には今川氏の制圧下に入った。…

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