弁財天堂(読み)べざいてんどう

日本歴史地名大系 「弁財天堂」の解説

弁財天堂
べざいてんどう

[現在地名]那覇市首里当蔵町一丁目

円覚えんかく寺の西、円鑑池えんかんちの中島にある小堂。弁財天女べざいてんによ堂ともいい、ビデーティンドーとよぶ。首里古地図には池の中島に東向きに建つ堂と弁財天堂の文字、方形の中島に北側から架けられた橋(天女橋)を確認できる。尚徳王七年(一四六七)に朝鮮国王から贈られた方冊蔵経(大蔵経)を収蔵するため、尚真王二六年(一五〇二)に池を掘り、池中に中島を築いて経蔵を造営した(球陽)。万暦三七年(一六〇九)薩摩島津氏の琉球侵攻によって堂は倒壊し方冊蔵経は散逸空地となって荒廃した状態が続いたが、天啓元年(一六二一)尚豊王の命により円覚寺住持の恩叔が堂を再建、堂内に円覚寺方丈の弁財天女像を安置し、弁財天女堂と称した(琉球国由来記)。尚貞王一三年(一六八一)には国王が初めて参詣、以後毎年正月・五月・九月には行幸して国土の太平を祈ることとなった(球陽)。康熙二五年(一六八六)像が損壊したため、円覚寺住僧の説三に新像を日本から請来させ、同三三年には堂を改修、翌年には住僧蘭田が池中に蓮を植えている(琉球国由来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報