延暦寺のおもな堂塔(読み)えんりゃくじのおもなどうとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「延暦寺のおもな堂塔」の意味・わかりやすい解説

延暦寺のおもな堂塔
えんりゃくじのおもなどうとう

 〔東塔〕
根本中堂(こんぽんちゅうどう)
 一乗止観院(いちじょうしかんいん)、根本大乗止観院ともよばれ、一山伽藍(がらん)および東塔の中心。788年(延暦7)最澄(さいちょう)が自作の薬師仏を安置してこもった薬師堂に始まる。この秘仏本尊とし、末代不滅の法燈(ほうとう)をともし続けている。国宝。

大講堂(だいこうどう)
 824年(天長1)学問修行の道場として義真和尚(ぎしんおしょう)が建立。本尊は大日如来(だいにちにょらい)。1956年(昭和31)旧堂焼失により山麓(さんろく)の讃仏堂(さんぶつどう)(1634建立)を移築したもの。

戒壇院(かいだんいん)
 大乗戒壇院、一乗戒壇院ともよばれ、大乗戒を授ける日本最初の、また唯一の道場。828年(天長5)最澄の遺志を継ぎ義真和尚が完成。本尊は釈迦(しゃか)如来。国の重要文化財。

阿弥陀堂(あみだどう)
 1937年(昭和12)滅罪回向(えこう)の道場として建立された。全国檀信徒(だんしんと)の霊位を安置し、日々念仏の回向法要を勤めている。

文殊楼(もんじゅろう)
 866年(貞観8)慈覚大師円仁(えんにん)の創建。一山総門の役目を果たす楼門で、楼上に文殊菩薩(ぼさつ)を安置する。

山王院(さんのういん)
 最澄創建と伝えられ、本尊は千手観音(せんじゅかんのん)菩薩。智証(ちしょう)大師円珍(えんちん)の常住の堂であり、脇壇(わきだん)にその木像が祀(まつ)られている。

法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)
 慈覚大師がかつて建立した法華総持院を、1980年(昭和55)、400年ぶりに再建。灌頂受戒(かんじょうじゅかい)の道場。

浄土院(じょうどいん)
 最澄の廟所(びょうしょ)として慈覚大師により建立された。宝形造の小さな堂。12年間籠山(ろうざん)の侍真(じしん)僧(律僧)が日々勤行(ごんぎょう)して聖地を守る。


 〔西塔〕
釈迦堂(しゃかどう)
 西塔の中堂。寂光(じゃっこう)大師円澄(えんちょう)が創建。本尊は最澄作の釈迦如来で、転法輪堂(てんぽうりんどう)ともいう。1595年(文禄4)園城寺(おんじょうじ)金堂を移築したもの。山上に現存する最古の、鎌倉時代の建造物である。国の重要文化財。

法華堂(ほっけどう)・常行堂(じょうぎょうどう)
 両堂は廊下でつながり、俗に「弁慶のにない堂」とよばれる。法華堂は825年(天長2)創建、本尊普賢(ふげん)菩薩、法華三昧(さんまい)修行(朝題目)の道場、常行堂は893年(寛平5)創建、本尊阿弥陀如来、常行三昧(夕念仏)の修行道場で、比叡(ひえい)教学の精神を並び示している。国の重要文化財。

相輪橖(そうりんとう)
 正しくは浄菩提心無垢浄光摩尼幢(じょうぼだいしんむくじょうこうまにとう)相輪橖。青銅製の相輪(約10メートル)が地上に立つ珍しいもの。820年(弘仁11)最澄創建。『法華経(ほけきょう)』『大日経』などを収蔵

瑠璃堂(るりどう)
 三間四方、入母屋(いりもや)造、檜皮葺(ひわだぶき)の小堂。織田信長の焼打ちを免れた唯一の室町末期の唐様(からよう)建築物。国の重要文化財。


 〔横川〕
横川中堂(よかわちゅうどう)
 848年(嘉祥1)慈覚大師の開創。首楞厳院(しゅりょうごんいん)ともよばれる。1971年(昭和46)現在のコンクリート舞台造、朱塗りの建物が旧堂を復原して再建。

如法塔(にょほうとう)
 根本如法塔ともいう。慈覚大師が天長(てんちょう)年間(824~834)に写経して納めた多宝塔。この事績を受け継いで、写経の奉納安置がいまも行われている。

元三大師堂(がんさんだいしどう)
 慈慧(じえ)大師(元三大師)良源の住房、定心坊の跡。大師信仰の根本道場。年4回『法華経』の論議が行われたことから四季講堂ともいう。

恵心院(えしんいん)
 浄土思想の祖といわれる恵心僧都(そうず)源信が住し、念仏三昧行に入った堂。

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