比叡(読み)ヒエ

デジタル大辞泉 「比叡」の意味・読み・例文・類語

ひえ【比叡】

比叡山ひえいざん」の略。
延暦寺えんりゃくじ異称

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精選版 日本国語大辞典 「比叡」の意味・読み・例文・類語

ひえ【比叡】

[一] 「ひえいざん(比叡山)」の略。

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日本歴史地名大系 「比叡」の解説

比叡
ひえいつじ

琵琶湖岸に位置した中世の水陸交通の要衝三津みつ浜に隣接し、延暦寺・日吉社への物資集積地として栄えたが、建武三年(一三三六)正月足利尊氏の攻撃を逃れるために後醍醐天皇が坂本に至ったとき、天皇方の軍勢が当地に陣を取ったといい「太平記」巻一四には「坂本・戸津・比叡辻ノ坊々・家々ニ札ヲ打テ、諸軍勢ヲゾヤドシケル」とある。当地は延暦寺の支配下にあり、応永元年(一三九四)九月の将軍足利義満の日吉社参詣に先立っての、「八王子猿馬場上」の掃除が「富崎・比叡辻・三津河」に割当てられており、この時、坂本の舟はすべて唐崎からさきから戸津とづ・比叡辻の間に集められたらしい(日吉社室町殿御社参記)

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知恵蔵mini 「比叡」の解説

比叡

日本海軍戦艦。1911(明治44)年に起工し、14(大正3)年に竣工した。41年、日本の航空母艦部隊の護衛として真珠湾攻撃参加した。42年にソロモン諸島・ガダルカナル島の攻防をめぐる戦いに投入され、同年11月の戦闘中に沈没した。2019年1月31日、米マイクロソフト社の共同創業者、故ポール・アレンの調査チームが、船体の一部をソロモン諸島沖の海底で発見した。沈没の原因は、連合軍の攻撃により舵がきかなくなったことから、日本軍が自ら船内に水を入れて自沈を図ったためだと考えられてきたが、その後の調査で船体が船首側に近い位置で切断されていたことがわかり、大きな爆発によって沈没した可能性も浮上している。

(2019-2-7)

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デジタル大辞泉プラス 「比叡」の解説

比叡

日本海軍の戦艦。金剛型戦艦の2番艦。超弩級戦艦。1914年、巡洋戦艦として竣工。ロンドン軍縮会議結果、練習艦となり、昭和天皇の御召艦としても使用された。のち、改造されて艦種変更。第二次世界大戦では真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦などに参加。1942年、第3次ソロモン沖海戦において損傷、自沈。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「比叡」の意味・わかりやすい解説

比叡
ひえい

金剛型戦艦」のページをご覧ください。

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