席田郡・莚田郡(読み)むしろだぐん・むしろだぐん

日本歴史地名大系 「席田郡・莚田郡」の解説

席田郡・莚田郡
むしろだぐん・むしろだぐん

筑前国中央部に位置し、北から東は糟屋かすや郡、南は御笠みかさ郡、西は那珂なか郡に接する。近世には莚田郡とも記し(慶長国絵図・正保郷帳など)、当時の郡域はおよそ現福岡市博多区の中央部東寄りに相当する。

〔古代〕

「延喜式」民部上は「席田」、「和名抄」諸本のうち東急本・元和古活字本は「席日」に作るが、高山寺本・伊勢本・名博本の「席田」に従い、東急本・元和古活字本の訓「牟志呂多」、名博本の傍訓「ムシロタ」から「むしろだ」と読む。「和名抄」によれば、所属郷は石田いしだ大国おおくに新居にいい三郷という筑前国最小の郡だが、そこに広がる田地・条里制に関する史料は豊富で、貞観年間(八五九―八七七)に発生した内蔵寮博太はかた(現博多区)、故高子内親王家庄、観世音寺(現太宰府市)領一切経田をめぐる相論が、保安元年(一一二〇)六月二八日の観世音寺公験案「一切経田公験」(早稲田大学所蔵文書/平安遺文一の一五四・一五七・一五八、一六〇―一六二号)に記録されている。すなわち貞観九年三月二六日の高子内親王家庄牒案(前掲一五四号)などによれば、問題となったのは席田郡の六図三里二八坪の七段、四里一八坪の八段、一九坪の五段、二八坪の二段、二九坪の四段、三〇坪の七段の合計三町三段の水田であった。同一〇年二月二三日の筑前国牒案(前掲一五七号)によると、観世音寺は問題の土地は延暦一一年(七九二)三月一三日に一切経料田として寺家に施入されたもので、以後は国郡図帳に寺田と記され、その地利をもって一切経料に充当してきたと主張した。これに対し、内蔵寮は問題の田を含む土地は貞観九年に故高子内親王家から内蔵寮に沽進されたもの(内蔵寮領博太庄)と反論した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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