市岡猛彦(読み)いちおか・たけひこ

朝日日本歴史人物事典 「市岡猛彦」の解説

市岡猛彦

没年:文政10.2.21(1827.3.18)
生年天明1(1781)
江戸後期の国学者。通称は藤太郎。槲園,椎垣内と号した。尾張(名古屋)藩士市岡甚右衛門の子。寛政12(1800)年,町方吟味物調役に出仕,文化2(1805)年に家督を継いで町方吟味役並となり,本役に進み,没したときは長囲炉裏番であった。本居宣長の門に入ったのは寛政12年,翌年の師の死去に当たって本居春庭に再び入門,古学研究に力を注いだ。尾張鈴屋学派の中心メンバーとして,歌学と考証にすぐれ,一方,『讃酒百首』(1835)の詠作からは豪快落々の風貌がうかがえる。他に『紐鏡うつし辞』『雅言仮字格』などの著が板本で伝わっている。<参考文献>『名古屋市史人物編』2巻

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市岡猛彦」の解説

市岡猛彦 いちおか-たけひこ

1778/81-1827 江戸時代後期の国学者。
安永7/天明元年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。本居宣長(もとおり-のりなが),春庭にまなぶ。考証,和歌などにすぐれ,尾張鈴屋(すずのや)学派で中心的役割をはたした。文政10年2月21日死去。47/50歳。通称は藤(東)十郎。号は槲園,椎垣内。著作に「雅言仮字格(がげんかなづかい)」,歌集「讃酒(さんしゅ)百首」。

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