川崎幾三郎(読み)かわさき・いくさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「川崎幾三郎」の解説

川崎幾三郎

没年:大正10.11.10(1921)
生年:安政2.10.29(1855.12.8)
明治大正期の実業家土佐国(高知県)土佐郡生まれ。幼名常太郎。父の初代川崎幾三郎の事業を助け明治初年より金物等の販売や金融業に従事。明治20(1887)年の父の没後,家督とともに第七国立銀行取締役を継承。31年~大正5(1916)年同行の後身土佐銀行の頭取。明治20年代より海運業にも盛んに出資し,特に盟友宇田友四郎を社長とする白洋汽船株式会社は第1次大戦期に莫大な利益を挙げた。土佐電燈,土佐電鉄,大東漁業など多数の企業の創立・経営にも貢献。明治末期から土佐郡大川村に1000町歩(約992ha)の植林事業も行った。明治34~大正10年高知商業会議所会頭。土佐の渋沢栄一といわれた。大正9年の土佐中学校の開校にも尽力。<参考文献>川島正件編『川崎幾三郎翁伝』

(阿部武司)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川崎幾三郎」の解説

川崎幾三郎 かわさき-いくさぶろう

1855-1921 明治-大正時代の実業家。
安政2年10月29日生まれ。18歳のときから金物店をいとなむ。高知汽船,土佐銀行,土佐セメントなどの創設にかかわり,明治34年から高知商業会議所会頭をつとめた。大正9年宇田友四郎とともに生地高知市に私立土佐中学を創立。大正10年11月10日死去。67歳。初名は常太郎。

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