川島武宜(読み)カワシマタケヨシ

デジタル大辞泉 「川島武宜」の意味・読み・例文・類語

かわしま‐たけよし〔かはしま‐〕【川島武宜】

[1909~1992]法学者。岐阜の生まれ。東大教授民法法社会学研究業績を残す。著作に「日本人法意識」「科学としての法律学」「日本社会の家族的構成」など。平成3年(1991)文化功労者

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川島武宜」の意味・わかりやすい解説

川島武宜
かわしまたけよし
(1909―1992)

民法学、法社会学者。明治42年10月17日岐阜市に生まれる。1932年(昭和7)東京帝国大学法学部卒業後、同大学助教授を経て、1945年教授となる。民法学の領域においては、債務不履行責任不法行為責任との請求権非競合を唱える論文を発表して法学界に大きな影響を与え、その後も多くの新しい解釈論を展開して、民法学に新しい視点を導入した。また名著『所有権法の理論』(1949)では、商品交換の過程から近代法の構成を試みた。第二次世界大戦後は、法社会学の領域においても活躍をみせた。数々の慣行調査を行い、日本の近代化過程における、近代的なものと前近代的なものとのずれを明らかにし、法学界を超えた啓蒙(けいもう)活動でも知られる。主著に『日本社会の家族的構成』(1950)、『法社会学における法の存在構造』(1950)、『科学としての法律学』(1955)、『近代社会と法』(1959)、『民法総論』(1965)などがある。

淡路剛久

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百科事典マイペディア 「川島武宜」の意味・わかりやすい解説

川島武宜【かわしまたけよし】

戦後日本を代表する法社会学者のひとり。岐阜県出身。東大教授。戦後日本社会における〈生ける法〉(エールリヒ参照)の近代化を自らの学問研究の目標に掲げ,《所有権法の理論》においては近代市民社会の法秩序の基本原理を追究し,また《日本社会の家族的構成》《農家相続農地》《日本人の法意識》など日本社会における具体的な〈生ける法〉に関する数多くの実証的研究を残した。さらに《科学としての法律学》や,主として紛争解決過程・司法行動分析を行う経験法学の提唱などによって,法学全体の方法論の面でも重要な役割を果たした。《川島武宜著作集》(全11巻)がある。1979年日本学士院会員,1991年文化功労者。
→関連項目法社会学

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川島武宜」の意味・わかりやすい解説

川島武宜
かわしまたけよし

[生]1909.10.17. 岐阜
[没]1992.5.21.
現代日本の代表的私法学者。東京大学法学部卒業。 1945年同大学教授となり,民法,法社会学などを専攻。第2次世界大戦後のいわゆる法社会学論争,法解釈方法論についての論争などで指導的役割を演じた。ことに,その客観主義的な判例研究の方法論は有名であり,影響力が強い。著書『民法解釈学の諸問題』 (1949) ,『所有権法の理論』 (49) ,『日本社会の家族的構成』 (50) ,『科学としての法律学』 (55) ,『民法総則』 (65) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島武宜」の解説

川島武宜 かわしま-たけよし

1909-1992 昭和時代の法学者。
明治42年10月17日生まれ。昭和20年母校東京帝大の教授となる。民法,法社会学を専攻。「所有権法の理論」や日本社会の特質を分析した「日本社会の家族的構成」などをあらわす。また科学としての法律学をとなえ,「法社会学講座」などの編集にもあたった。平成3年文化功労者。平成4年5月21日死去。82歳。岐阜県出身。旧姓は高木。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「川島武宜」の解説

川島武宜
かわしまたけよし

1909.10.17~92.5.21

昭和期の民法・法社会学者。岐阜県出身。東大卒。東京帝国大学助教授をへて1945年(昭和20)同教授。法社会学の発展に寄与,第2次大戦後の民法改正にも影響を与え,また法社会学と法解釈学の関係も基礎づけた。日本法社会学会理事長。著書「日本社会の家族的構成」。「法社会学講座」10巻を編集。

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