島々村(読み)しましまむら

日本歴史地名大系 「島々村」の解説

島々村
しましまむら

[現在地名]安曇村島々

あずさ川の島々谷との間に形成された舌状の段丘上に立地する村落。初見は、文禄年代(一五九二―九六)成立の筑摩安曇両郡郷村御朱印高附帳で、「一弐石五斗七升五合 島々村」とある。慶安四年(一六五一)検地帳によると、田一・五段、畑三町九段余(うち麻畑三段)、本百姓七軒、門百姓六軒。明治四年(一八七一)には田が六・五段、畑が五町歩(うち麻畑三段)田畑が若干増加。明治以後、桑畑大明神だいみようじん山の山頂及び南急斜面に造成している。戸口は文久二年(一八六二)八二世帯(三二戸)、四〇四人で、かなりの増加を示す。生業の杣業は、大野川おおのがわいねこき下角影しもつのかげ大町おおまち野口のぐちの諸村の杣とともに島々山・稲山・大野川山・烏川からすがわ山・中房なかぶさ山・乳川ちがわ山・野口のぐち山・鹿島かしま山等の松本藩有林へ藩の直営・請負い、あるいは運上金を納めて薪・榑木・板子・棚木・角木などの伐採出材をしており、松本城下をはじめとして江戸・川中島・善光寺・越後等へ売り払っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報