朝日日本歴史人物事典 「岡本文弥(初代)」の解説
岡本文弥(初代)
生年:寛永10(1633)
延宝(1673~81)ごろから人形浄瑠璃の大坂出羽座で名を上げた古浄瑠璃の太夫。「文弥の泣き節」といわれ,大坂では最も人気があり,素人も含めて多くの門弟を擁した。在名正本としては「四十八願記あみだの本地」(1684)を知るのみであるが,天和・貞享(1681~88)ごろからは,年老いた伊藤出羽掾にかわって,出羽座をとりしきった。彼の正本に擬すべきものは,したがって少なくないはずである。門弟に「泣き節」を発展させて「愁い節」を創始した山本角太夫(土佐掾)がいる。<参考文献>信多純一「山本角太夫について」(古典文庫『古浄瑠璃集/角太夫正本1』解題),阪口弘之「出羽座をめぐる太夫たち」(『人文研究』26巻3分冊)
(阪口弘之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報