古浄瑠璃
こじょうるり
人形浄瑠璃の義太夫節以前の諸流派をいう。 15世紀に語りはじめられた『浄瑠璃十二段草子』が語り物の一ジャンルを形成し,16世紀末~17世紀初めに,三味線,人形と結んで人形浄瑠璃芝居を確立,以後享保末年 (1735) 頃まで江戸,大坂,京都で興行された。太夫は,上方では宇治加賀掾,山本角太夫,井上播磨掾,伊藤出羽掾,岡本文弥,江戸では杉山丹後掾,薩摩浄雲らの名が知られる。それぞれ異なった語り方を工夫して,一流一派を立てた。作品は中期までは6段物が多く,後期には5段物が多い。御伽草子,幸若舞曲の改作や模倣作が多く,全体に語り物性が濃厚で戯曲としては未成熟であった。その後江戸に空想的,超人的な武勇もの (→金平節 ) が起り,上方にも影響を与えて,大坂では旋律性の豊かな節事が,京都では繊細な曲節による情緒的余情が加えられ,文学面でも向上。年代が下るにつれ,人間感情の解釈に近世化がみられるなど,義太夫節成立,当流浄瑠璃への過渡的様相を示した。
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こ‐じょうるり ‥ジャウルリ【古浄瑠璃】
〘名〙
①
竹本義太夫と
近松門左衛門の提携以前の浄瑠璃の
総称。筋の面白さに重点がおかれ、登場人物の性格や心理描写がなく、演劇的に場面の整理が未熟なのが特徴。
近松の「出世景清」(
一六八五)以来の当流
(とうりゅう)(新浄瑠璃)と対比した
名称。六段形式のものが多い。金平
(きんぴら)節、文彌
(ぶんや)節、
播磨節、加賀節などの流派がある。古流。〔外題年鑑(1757)〕
② 新しく書き下ろした新作の浄瑠璃に対して、既に一度上演したことのある浄瑠璃を、再演に際していう。
※声曲類纂(1839)二「宝暦三酉年の春より京都に竹本の操芝居興行す。大方大坂の古浄瑠璃なり」
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古浄瑠璃
こじょうるり
三味線伴奏による日本の語物音楽の分類名。17世紀初頭から人形芝居に用いられた浄瑠璃のうち、竹本義太夫(ぎだゆう)によって1684年(貞享1)義太夫節が成立する以前の各流の総称として用いられる。金平節(きんぴらぶし)、外記(げき)節、土佐節、角太夫(かくたゆう)節、永閑(えいかん)節、文弥(ぶんや)節、嘉太夫(かだゆう)節などがこれに含まれるが、義太夫節が人形劇音楽の王座を占めるに及び、18世紀に入ると衰微し、やがて吸収され消滅していった。
[林喜代弘]
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デジタル大辞泉
「古浄瑠璃」の意味・読み・例文・類語
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こじょうるり【古浄瑠璃】
人形浄瑠璃のうち,義太夫節以前に成立した古流派に属する浄瑠璃の総称。御曹司牛若丸と矢矧(やはぎ)宿の長者の娘浄瑠璃御前との恋物語の語り物は,室町中期ころより語られていたが,この語り物はその娘の名をとって浄瑠璃と呼ばれた(《浄瑠璃物語》)。江戸時代の初頭には三味線,人形操りと提携し,またさまざまな物語を同様な曲節で語るようになり,浄瑠璃という語は広く語り物の種類をあらわす名称となった。それ以後,浄瑠璃は人形芝居の語り物として多くの作品を生み出すことになる。
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世界大百科事典内の古浄瑠璃の言及
【浄瑠璃】より
…近松門左衛門の活躍時代において文学性が最も高くなり,その後人形舞台の発達につれて舞台本位の演劇性を高度にもつにいたる。
[古浄瑠璃]
1474年(文明6)ころから《浄瑠璃物語》は語られた(《実隆公記》紙背)という。その後の展開のうち,義太夫節成立までを〈古浄瑠璃〉と呼ぶ。…
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