山田抄太郎(読み)やまだしょうたろう

改訂新版 世界大百科事典 「山田抄太郎」の意味・わかりやすい解説

山田抄太郎 (やまだしょうたろう)
生没年:1899-1970(明治32-昭和45)

長唄三味線方作曲家。杵屋きねや)三喜代に師事ののち,3世杵屋六四郎(のちの2世稀音家(きねや)浄観)に入門,杵屋抄太郎を名のる。1913年,稀音家六治と改め長唄研精会研精会)に入る。東京音楽学校講師から教授となり,同校の大学昇格により東京芸術大学教授となる。50年,本名の山田抄太郎にもどり独立。57年東音会を組織して若手の育成に尽力し,作曲,演奏ともに円熟境地を示した。代表的な作曲に《夜遊楽(やゆうらく)》《胡蝶舞》《橡(とち)の木》などがあり,また,小唄の作曲にも《つくだ流し》《きりぎりす》など余技以上のものがある。重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝),日本芸術院会員。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田抄太郎」の意味・わかりやすい解説

山田抄太郎
やまだしょうたろう
(1899―1970)

長唄(ながうた)三味線方。3世杵屋(きねや)六四郎(のち2世稀音家浄観(きねやじょうかん))に師事。前名稀音家六治(ろくじ)。1941年(昭和16)東京音楽学校(現、東京芸術大学音楽学部)講師となり、1943年同校教授となる。1950年(昭和25)本名の山田抄太郎に戻る。1957年、東京音楽学校および東京芸術大学長唄科の卒業生を中心に長唄東音会(とうおんかい)を組織し、初代会長に就任。1966年、東京芸術大学名誉教授となる。『夜遊楽(やゆうがく)』『胡蝶(こちょう)舞』『橡(とち)の木』その他、小唄や都をどりの小品を数多く作曲する。1955年重要無形文化財保持者に認定。芸術院会員。1968年に文化功労者に選ばれた。

[渡辺尚子 2018年7月20日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山田抄太郎」の意味・わかりやすい解説

山田抄太郎
やまだしょうたろう

[生]1899.3.5. 東京
[没]1970.6.8. 東京
長唄三味線方および作曲家。3世杵屋六四郎 (のち稀音家浄観) の門弟。前名稀音家六治。 41年東京音楽学校講師,43年教授。 50年同校が大学に昇格し,東京芸術大学教授となる。同年本名を名のって長唄研精会から独立。 57年東音会を組織。演奏家としては,そのつやのある技巧が高く評価された。代表的な作曲としては『胡蝶舞 (こちょうのまい) 』『水は廻る』『橡 (とち) の木』などがあるが,そのほか,小唄や都踊りにも佳作が多い。東音会,抄風会の指導者としても活躍。 55年日本芸術院賞を受け,重要無形文化財保持者に認定された。 59年日本芸術院会員。 68年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田抄太郎」の解説

山田抄太郎 やまだ-しょうたろう

1899-1970 大正-昭和時代の長唄三味線方,作曲家。
明治32年3月5日生まれ。3代杵屋六四郎(のち2代稀音家(きねや)浄観)にまなび,杵屋六次,のち稀音家六治を名のる。東京音楽学校(現東京芸大)教授をつとめ,昭和25年本名の山田抄太郎にもどる。30年芸術院賞,人間国宝。43年文化功労者。昭和45年6月8日死去。71歳。東京出身。作品に「胡蝶舞」「夜遊楽(やゆうらく)」など。

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百科事典マイペディア 「山田抄太郎」の意味・わかりやすい解説

山田抄太郎【やまだしょうたろう】

長唄三味線の演奏家・作曲家。東京生れ。2世稀音家浄観に師事。前名杵屋抄太郎,稀音家六治。1957年東京音楽学校および東京芸術大学の出身者を中心とする長唄の演奏・研究団体〈東音会〉を組織。《橡(とち)の木》などを作曲。1955年人間国宝。1966年東京芸術大学名誉教授。1968年文化功労者。

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